(承前)羊肉と蕪の煮込みが19世紀中頃からナヴァランと呼ばれるようになったことについては既に見たとおりだが、その前提としている「羊肉と蕪のラグゥという料理そのものはもっと古くからある」という事実については19世紀前半のカレームのレシピを引用しただけで、それ以上は踏み込まなかった。

僕が知るかぎり、羊肉と蕪の煮込みのもっとも古いレシピは17世紀ラ・ヴァレーヌ『フランス料理の本』に出ている「羊胸肉の煮込み」Poictrine de mouton en aricot だ。言うまでもなく aricot は haricot である。ところでこの場合の haricot は「いんげん豆」のことではない。「煮込み」のことだ。フランス語の大辞典 TLFi ではこの語は14世紀末の『ル・メナジエ・ド・パリ』に用例があると出ている。たしかにそのとおりで「羊肉のアリコ」が出ている。けれど、ギヨーム・ティレルの『ル・ヴィアンディエ』にも同じ料理が出ていて、こちらのほうが古い。というか、『ル・メナジエ・ド・パリ』のは『ル・ヴィアンディエ』をほぼそのまま写しただけのものだ。

さて、ラ・ヴァレーヌの「羊胸肉の煮込み」の作り方は…

羊胸肉をフライパンで炒め、鍋に入れてブイヨンを注ぎ、味付けする。肉に半ば火が通ったら、蕪を二つ割り(別の切り方でもいい)にして炒めて鍋に加える。豚背脂と小麦粉少々を炒めたもの、玉ねぎのみじん切り、ヴィネガー少々、ブーケガルニを加える。ソースが煮つまってから供する。

手順に多少の違いこそあれ、200年後のカレームの「羊肉と蕪のラグゥ」ととてもよく似ている。そもそもがシンプルな料理だからあまり変わりようがないという見方も出来るかも知れない。

「豚背脂と小麦粉少々を炒めたもの」は注目に値するだろう。後の「ルゥ」の原型とも呼ぶべきものが既に使われているのだ。もっとも、この小麦粉と油脂を炒めたものを17世紀にはルゥ roux とは呼んでいない。ついでだが、roux とはもともと「焦げたもの」のことで、その意味では「白いルゥ」roux blanc などは矛盾した表現ということになる。

もうひとつ注目しておきたいのは、料理名が en ragoust ではなく en aricot となっていることだ。既に書いたように、ラグゥという言葉は17世紀からのもので、ラ・ヴァレーヌではその用例が非常に多い。にもかかわらず、この羊肉の煮込みは en aricot という古い表現になっている。

ならば中世の「羊肉の煮込み」Haricot de mouton はどういうものだったか。『ル・メナジエ・ド・パリ』から引いておこう。

羊肉は適当な大きさに切り分け、茹でる。予め火を通しておいた玉ねぎの薄切りとともにラードで炒める。牛のブイヨンを注いでのばし、メース、パセリ、ヒソップ、セージを加えて煮る(ii-v-64)。

残念ながら蕪は使われていない。ただ、同じ『ル・メナジエ・ド・パリ』の蕪の項に「豚や牛、羊肉とともに煮る」(ii-v-54)と書かれているから、羊肉と蕪の組み合わせ自体は14世紀以前からあったのは確かだろう。

羊肉の「煮込み」を意味するアリコ haricot という語が、「いんげん豆」 haricot とまったく同じであることについても少し触れておこう。どうしてこのような現象が起きたかについてはいくつか説がある。少なくとも、アメリカ大陸原産のいんげん豆がイタリア経由でフランスにもたらされたのは16世紀のことだ。上で書いたように「羊肉の煮込み」のアリコのほうがずっと古い。

単純に、羊肉の煮込みにいんげん豆をよく用いたから、という説。もとからあったフランス語 haricot (古くは aricot)とは別に、豆のほうはアステカ語 ayacotl が語源だという説。いんげん豆の原産地の地名カルカッタ Calcutta を意味する Calicut がもとになったとする説(昔はアメリカ大陸とインドはしばしば混同された)… もっとも最後の説についてはかなり疑わしい。

いんげん豆はこんにちのフランスでもっとも好まれる豆類のひとつだが、中世から16世紀にかけては、もっぱらえんどう豆と蚕豆だった。いんげん豆がどのようにフランスの食文化に受け容れられ、根を下ろしたか、料理書のレヴェルで追ってみるのも面白いだろう。

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