「頑張れ!」は辛いけれど「出来る範囲でいいから一緒に頑張ろう」なら……

僕としては珍しく、プライベートにかかわる事を書きます。あと、公に書いちゃマズいかどうか微妙なことも。だから、訂正する可能性はあります。

比較的よく知られていることだと思うけれど、「うつ」の人に「頑張れ」は禁句。やる気が出ないというのも、個人的な経験で言えば、病気が悪化するにつれ、意欲さえ持てないことそれ自体が常に辛くてしょうがなくなってくる。というか、断続的に「生きててスミマセン」な状態が続いたりする。

そんな時に「頑張れ」と言われると、頑張れない自分の存在そのものがいけないんだろうという気分になって、余計に沈んでしまう。

でも、快方に向っていくにつれて、自分から「頑張ってみようか」と思ったりするのだから不思議なものだ。

もっとも、僕自身は昔から「頑張らない主義」を標榜していて、好きなことはとことんやるけれど、嫌なことは出来るだけラクに済ませようとするし、可能ならスルーしていていた。だから、いろいろあって最初に入学した高校を中退してなんとなく定時制に通い、勉強関係といえば日本の古典文学とサリンジャーやチャンドラーのような英語の本を読んでみたりして過ごしていた。当時のガールフレンドがハルキストで、『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』が出てすぐに、強制的に読まされたのを覚えている。そんな時代、結果として大学も三流どころの私大しか僕に選択肢はなかった。それでも好きな専門科目だけは熱心にやったおかげで、大学院は名実ともに「研究者養成機関」と呼ばるところに行くことになった。いわゆる「学歴ロンダリング」。好きなことしか出来ない自覚があるから、企業とか役所への就職は考えたこともなく、紀要論文を書いたりしていた。結果的にはいくつかの大学の非常勤講師の仕事をもらうことが出来て、どうにか暮せるようになった。

翻訳は嫌いではないからと、博士課程の頃から実務翻訳のアルバイトはしていた。納期はシビアだし、内容も行政関係から、アフリカのある地域の環境アセスメント調査報告書まで、いろいろ訳した。かなりのストレスになることもあった。A4サイズ100ページの文書を実質1週間で納品しろ、って。当時はネットなんかなかったから速達で郵送。翻訳することよりも、時間的なストレスがきつかった。そもそもいつ仕事が来るか事前に分からないのだ。だから、大学の仕事で食べていけそうになったのを機に、翻訳の仕事はやめてしまった。いま考えるとじつにもったいないことをしたと後悔している。あの業界、一度でも仕事を断わると次がない、というのが常識だったから。

大学の非常勤講師といえば多少は聞こえがいいかも知れないけれど、僕の担当科目はもっぱら第二外国語科目としてのフランス語。初級ばっかり。それでも、フランスに行って外国語としてのフランス語教授法の講座を受けたりして、自分なりに頑張っているつもりだった。

が、大事なことを、分かっていながらわざと無視していた。小学校に入った当初から、ひどく学校というものが嫌いだった、ということを。だから数年で辛くてしょうがなくなってしまった。他にもひどくストレスになる事があったりして、今思えば、あの頃すでに軽い「うつ」だったのだろう。

近代というものへの疑問と、身体性の回復というものすごく立派な大義名分を自分ででっちあげて、農業に転職した。基本的にストレスフリーでいい仕事だと思ったのは数年だけ。トラブルが続いて、挙句の果てにだんだん元気がなくなり、自分でも「病気」だと自覚しつつ、「男の更年期」だろうからしばらくすればまた元気になるだろう、と思っていたのは判断ミス。ゆっくりと、けれど確実にダメになっていく。

ずっと以前から、経済成長とか進歩を前提とした「近代」というものに疑問を持っていて、思考における身体性の回復ということが頭にあったから、元気もなく、考える力もない自分にとても混乱してしまった。

思いきって医者にかかって分ったのは、要するに「うつ」は脳の機能が衰えるというか元気をなくして、セトロニンとノルアドレナリンという脳内物質が足りない状態。で、SNRI系の抗うつ剤を処方してもらったのだが、調べてみたら抗コリン作用があるって。コリンというと、僕は即座にアセチルコリンを思い浮かべてしまう。なじみのある農薬(殺虫剤)に、アセチルコリン受容体に働きかけるものが多いからだ。人体への安全性が高いといわれているスピノサドにしても、ネオニコチノイドにしてもそう。抗コリン作用というのだからそれとベクトルは違うのだろうけど、ちょっとビビってしまった。

人間の思考や感情なんてものは、つきつめてしまえば、脳内物質と神経を流れる微弱な電気信号次第なわけで、思いもよらぬ形で身体性の回復をあらためて意識することになってしまった。

それはさておき、僕はとりわけ対人ストレスに弱い自覚があって、要はペルソナをうまくコントロール出来ていないのだろうけれど、かといって常に孤独でありたいというわけでもない。家人がいてくれてほんとうに良かったと思っている。

で、少しずつだけれど快方に向かって、元気になりつつあるから、ずっと放り出していたエスコフィエの翻訳を再開する気になった。もっとも、古い原稿ファイルを出すとそれにつられて不快な記憶が蘇えってきそうだから、まっさらな状態、ゼロから訳しなおそうと思ったわけだ。翻訳なんてものは、その作品に対する愛情と情熱さえあれば、きわめて孤独な状態で出来る、というか、本来はそういう仕事だ。

ところが残念なことにと言うべきか、多少は元気になったとはいえ「情熱」はまだ持てないでいる。そんな状態だから、「やるぞ!」と公言して多少は自分を追い詰めてみてはいるんだが、「エスコフィエなんて誰も読まないでしょう」なんて言われたりするとすぐに落ち込むし、孤独じゃない翻訳という仕事のやりかたというのもあっておかしくない筈。そう思って、協力者を募っているのだが、なかなか話が進まなかったりする。

そりゃ、出版するかどうかわからず、最終的にはネットで無料公開かも知れない、一銭にもならない仕事、それも原書で千ページくらいの大仕事を無料で手伝ってくれというまことにムシのいいお願いをしているわけだ。でも、僕と同じレベルでバリバリ訳してくれとお願いしているわけじゃなくて、料理用語のチェックとか、校閲・校正とか、公開手段の決定とそのための渉外とか、何でもいいから一緒にやってくれる仲間を必要としている。

バラしてしまうと、あの雑誌連載の2年目くらいからかな、年1回は一応ミーティングをしていたんだけど、取り上げる項目とレシピの選定、訳、注釈を僕ひとりでやっていた。解説のひとは、僕の訳と注釈を見てから、解説を書く段取りになっていた。最後の方は意地悪かなと思いながら、この料理の解説は難しいだろう、というのを取り上げたりもしたんだけど、誰も何も言わなかった。訳文についても、もっぱらカタカナ表記に監修者の好みが反映されたくらいで、フランス語の文章の解釈などが議論になることも滅多になかった。訳文を褒められることもなければ貶されることもない。とにかく僕に新訳をやれ、という圧力だけがあった。そのうえさらに「翻訳は原価タダだろう」みたいなことを言われては……

だから、出版社が会議で正式に、企画を却下してきた時、正直なところちょっと気分がラクになった。その頃にはもう元気がなくなってきていたから。

そんなわけで、最近言い出したエスコフィエ新訳再開の件も、他人事のように「頑張れ」と言われると、いまでも「いや、そういうのはちょっと……」とモチベーションが下がる。出来ることを出来る範囲でいいから、問題点やらを共有して、一緒に仕事してくれる仲間がほんの数人でも出来ればいいと思っている。ムリかな……

エスコフィエの訳なんて需要がないからムダというのが恐らくは一般的な暗黙の了解だろう。だから、僕がやらなくていいなら、誰かそう明言してくれないだろうか。いまの状態が続くとしたら、ちょっとキツいというのが正直なところ。

追記……そんなわけで、出来たら翻訳に協力してくれる方を募集中です。もちろん、上記のように、エスコフィエの新訳なんか社会的にも不要だ、というようなご意見をお送りいただいても、それもありがたく思うので、どうぞよろしくお願いします。

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