こういうの「悪文」って言っていいかなぁ

『ル・ギード・キュリネール』第二版への序文の冒頭

Au seuil de la deuxième édition d’un ouvrage auquel la faveur de nos collègues assura un succès dépassant nos plus ambitieuses espérances, ce nous est un impérieux devoir d’exprimer à ceux-ci notre profonde gratitude et de remercier nos lecteurs; aussi bien ceux dont nous avons recueilli les précieuses approbations que ceux qui nous honorèrent de critiques utiles, dont nous nous sommes efforcés de tenir compte dans la mesure où elle nous on paru justifiées. (p.VII)

原文は手で打ったので、タイプミスがあったらごめんなさい。第二版はarchive.orgで読めます。ちなみにこれは第4版(現行版)にある「第2版への序文」です。

さて、読むだけならどうということもない、ちょっと、いや、気取った調子で煩い定型表現的なものがちりばめられた文章に過ぎないと思う。それほど難しいことは言っていない。要するに「謝辞」。ところが、いざ日本語にしようと思うと存外、難物。「定型表現」といえば手紙の結びとか推薦状の文面とか、そのまま「逐語訳」したって日本語になりそうにないものは多い。なんだかそれに近い気もしないではない。

「同時通訳レベル」の日本語にするなら簡単かも知れないけれど(あれって、よくわからない時がありますからね。僕も「逐次通訳」は何度もやったことがあるけど、言葉が右から左へ素通りしていく感覚を覚える瞬間がたびたびあった。まぁ、僕のフランス語力程度じゃタカが知れてるんだけど)、文体や雰囲気を生かしてそれなりに読める文章となると、まことに厄介だ。これまでも「悪文」と呼ばれるフランス語はさんざっぱら読んできたけれど、このところバルザックを枕頭の書としていま3作品め『二人の若妻の手記』という書簡体小説。あれも作者が意図的に、わざと文体をおかしくさせているところのある小説だけど、それでも、圧倒的に読みやすい。凝った修辞も美しいことがほとんど。いや、バルザックは「詩人」というよりは「散文家」だし、僕自身「詩」はどちらかといえば苦手な部類なんだけど……

エスコフィエの本に戻ると、この「第二版への序文」冒頭で言ってることはよく分かる。単語も難しくはない。が、どうにも日本語にしにくい。なぜかと言うに、一文なのに、そこに「言いたいこと」が5つも6つも入っているからだ。

かつて、フランス留学時に、指導教授から「ひとつの文にはひとつのイデー(=言いたいこと)を書くに留めろ」と何度か言われたことを思い出した。もちろん、ひとつひとつの文は短かくなる。が、長たらしくダラダラと非論理的な文章が続くより、明快な短かい文を論理的に畳みかけていくほうが余程いい、ということだ。

そんなことを思い出しながら、訳してみたのが下の文章。

ここに第二版を上梓するわけだが、共著者の熱意ある仕事のおかげで、我等の強い期待をさらに越える成功は約束されたも同然だろう。だからこそ、共著者の皆および本書の読者諸君には心からの謝辞を申しあげる次第だ。また、有り難くも称賛の言葉を寄せてくださった方々と、貴重な批判をくださった方々に御礼申しあげる。批判については、それが正当なものと思われる場合については、本書に反映させるべく努めさせていただいた。

どうだろうか……? 明快で分かりやすいとまではいかないか。もちろん「草稿」だから、最終的にはもっと違う文になっていることだろう。

自発的に翻訳していて困るのは、他者の評価をリアルタイムで知ることがなかなか難しいところ。実務翻訳だとペイにはね返ってくることもあるから、ある程度までは自分の訳文のクオリティを「客観的」に知ることが出来たんだけど。エスコフィエとかは知人に見せたところで、「ふーん、いいんじゃない」って返事がもらえればいい方。ブログにせよFBにせよ、だいたい無反応。そもそも訳してる作品がつまらないからかな、とか、訳がヘタなのか、とか、日本語の文体が難しすぎるのか、とか色々考えてしまう。だんだん落ち込んでくる。いまの僕にとってそういう状況は非常によろしくない事情がある。

そもそも、僕にとって自分の訳文というのは、料理人さんにとって自分が作った料理と同じようなものと考えていいと思う。客席を回って訊いて回っても、通り一遍の誉め言葉か、「フツーにおいしい」って反応しか得られなかったらどうですか?まぁ、料理長が客席を回って訊いても、面と向かって批判や批難をするひとはまずいないとは思うけれど……でもその分、売上とか明確な指標は他にもあるじゃないですか。いま僕がやっているエスコフィエ新訳は出版も決まっていないし、原稿を完成させたらどうしようか、フリーで公開するしかないか? くらいのもので、「やりかけた仕事にけじめをつけたい」というモチベーションで動いているようなものなんです。どうせ翻訳するなら「名訳」と呼ばれるものを一度でいいから実現してみたい、という気持ちもあります。

そんなわけで、こまめに反応を知りたいんだけど、このブログのコメント欄を開ける勇気はまだちょっと持てそうにない。ブログのコメント欄でヒドい目にあったことが何度もあるから。「上から目線」で何か言われても、その内容に納得出来るところがあればいいのだけれど、「上から目線」のコメントに限って、どうにも言葉足らずで、いかにも頭の悪そうな文がほとんど…… やっぱりコメント欄は閉じたままにしておきます。とりあえず感想を聞けそうな知人はいないわけじゃないから。