べ、別に日本のフランス料理業界のためなんかじゃないんだからねっ(笑

FBに投稿したものを一部(かなり?)改変してアップします。


今回のエスコフィエ『ル・ギード・キュリネール』新訳への取り組みにおいて、僕はカネ儲けをしようとは思っていません。もし出版社が動いて、翻訳料あるいは印税をくださるというのであれば断わる理由はありませんが……もちろん、その場合は原稿作成に直接協力してくださった方には応分で分配させていただきます。でも僕自身期待していませんので、協力者の方々もおカネの面での期待はなさらないでください。そもそも、紙の本として出版出来る可能性は現状、かなり低いと思っていたほうがいいでしょう。

じゃあ何故いまごろになって、とか、ロハ覚悟でどうして? という疑問は当然のことだと思います。

単純に、一度は「やる」と言った仕事で、しかも、病気のせいとはいえ何年も放り出したままにしてしまったから、一種の「けじめ」をつけたい、と。べ、別に日本のフランス料理業界のためなんかじゃないんだからねっ! なんてツンデレ的な気持ちもあるにはありますが、それはメインじゃないんです。

そもそも僕が野菜を作り始めた理由のひとつに、フランスから帰朝して、大学の非常勤講師の仕事をするようになってから、会合などで行ったレストランの「フランス料理」に何とも言えぬ違和感を覚えた、というのがあります。野菜、生クリーム、バターが決定的に違う。最近ある料理人さんから小麦粉も同じような問題が大きいことを教えられましたが、小麦粉は高コストになるとはいえフランスの T-55 とかが輸入されています。野菜は冷凍などの加工品に限らず、生鮮野菜もヨーロッパ産のものが輸入されている。ただ、輸入するということはそれだけ時間がかかるわけで、鮮度こそが大切な野菜については国産の方がいい。でも国産で一般に流通しているものは品種が違う、ものによっては収穫タイミングが違う、という決定的な問題を抱えています。そこで、ヨーロッパから種子を輸入して野菜を作るようになったわけです。

乳製品=酪農はそうそう手が出せるものではないし、僕は20代から30代半ば(つまり大学を辞めて新規就農するまで)、ほぼベジタリアンな食生活だったから、野菜への興味が強かったんです。ビーガンからは程遠い、状況によっては肉も魚を口にせざるを得ないこともあったし、卵や乳製品は忌避しない(でも日本の牛乳も生クリームも好きじゃない)。そんな感じでしたから。ついでに言うと、日本のスーパーで買ったフランスで代表的なブランド名のヨーグルト(パッケージはそっくり)を食べた時のガッカリというかコレジャナイ感たるや……あ、いまでもあんまり肉、魚はさほど好きじゃないんですよ。なくても平気なんだけど、農業は基本的に肉体労働だから、どうしても蛋白質が足りなくなるなぁとあきらめて、それに家人はアンチベジタリアンだから、平和のためにも肉、魚を食べることにしたんです。

ヨーロッパ品種の野菜をつくるようになってからしばらく経って、どうも日本のフランス料理人さんたちにエスコフィエをきちんと理解していない人が多いらしい、ということを知らされました。僕でさえ名前は知っていたし、ちゃんと作るなら必要かなと思って原書を買ったくらいなのに…… で、いまとなってはあまり思い出したくない記憶に多々つながるあの雑誌連載が実現したんです。その連載終了後に新訳を完成させる筈だったのが、出版社側で企画が通らなかったこともありますけど、僕自身が病を得たために、そのまま何年も放置してしまった。そういう経緯です。

ところで、昔の翻訳で誤訳だらけというのはよくあることだけど、あれはいまも「現役」で販売されているんですね。そのこと自体に異論はありません。誤訳を気にしない読者だっているだろうし、立派な装丁だから書棚の飾りとしてもインパクトがあるでしょう。

翻訳というのは「正解がひとつ」じゃないんです。だから複数の選択肢がある方が読者にとっても有益でしょう。それに、ある偉いフランス文学者の先生がおっしゃっていたように「翻訳には寿命がある」と僕個人も思っています。その寿命が半世紀なのか1世紀なのかの判断は読者がするべきことだと思います。

原書は著作権が切れてパブリックドメインになっている、つまりは原著者側に翻訳のギャランティを支払う義務すらないわけです。誰が訳してもいい。

でも、どうやらいまのところ、誰も訳さない。世界的に名著と言われているのに。誰か競合相手がいると面白いというか盛り上るかな、とも思うんですが……

以前、あるイタリア料理人さんが「フレンチはエスコフィエという共通言語があっていいよね」と言っていました。でもエスコフィエは日本語で読めるのが旧訳しかない。とても高価だし、はっきり言って誤訳が多い。そんなこともあって、上で書いたようにエスコフィエをどうやらきちんと理解していない料理人さんが少なくない状況。だからエスコフィエが「共通言語」なんてとんでもない。いや、イタリア料理だってアルトゥージという共通言語がある筈なんだけど、時流のせいかリチェッテ・レジォナーリの方が注目されている。

アルトゥージはいいですよ、イタリアンの方。まだお読みでなければ是非。権威ある Einaudi 版がおススメです。基本的にはレシピ集ですけど、どうしてパスタがプリモになったのかがよくわかる。というか、プリモピアットとはそもそも何なのか、ということを考えるきっかけを与えてくれる筈。リチェッテ・レジォナーリがイタリアの食文化における多様性を示しているのに対して、その多種多様ではあるけれど、どの地方のものであっても「イタリア料理」として成立しているというある種の統一性を体現している、というかその起因となったのがアルトゥージです。

話が逸れました。ともかくも、カネになると期待してやっているものじゃなく、かつて学者の卵として学んだ語学力と方法論、実務翻訳で培った技術をもう一度、という感じでしょうか。要は、自分自身の問題として「けじめ」をつけたい、ということなんです。