むかし légume は豆だった

たまにはフランス語の豆知識でも書いておこう。

こんにちフランス語で légume といえば野菜全般を意味する。が、古くは豆類のことだった。いや、現代フランス語でも「豆」の意味はある。TLFiでは légume の項の冒頭に「豆」の意味での説明が出てくる。野菜全般の意味はその後だ。

  1. Vx. Graines qui sont dans une gousse.
  2. Fruit des légumineuses. Synon. gousse.

日本語にすると、「1. さやに入っている豆」「2. 豆科の実。gousse と同義」。つまりは豆そのもの、および「さや豆」の両方を意味する。

ここで引用した 1 の語義は「古語」という扱いだ。手元の旺文社『ロワイヤル仏和中辞典』も同様になっている。とくに古い文献を読むのでなければ覚えなくてもいいように感じられるかもしれないがそうではない。

エスコフィエ『料理の手引き』、「野菜」légumes の章には Cuisson des légumes secs という項目がある。もちろん、「乾燥豆の調理」だ。いぜんに雑誌連載で訳を載せたので参照されたい(「専門料理」2014年1月号)。このときは「調理」の語は省いて「乾燥豆」と訳した。

エスコフィエの『料理の手引き』はたしかに100年前の本だが、古語ではない。近現代のフランス語で書かれている。

ついでだから、既訳である『エスコフィエ フランス料理』の該当箇所を引用しておくと

乾燥野菜の調理 乾燥野菜を水につけるのはよくない。1年くらい前のもので良質のものなら、冷水から入れて沸騰させればよい。その間アクをすくり取り、ブーケなどを入れてふたをしてごく弱火で気長にゆでる。(p. 1064)

こんな珍訳でエスコフィエをわかった気になっていたのなら、まことにお気の毒だ。この訳書は一事が万事この調子で誤訳満載だからとうてい実用書とは呼べぬ代物だ。もっとも、いまの日本のフランス料理関係者のほとんどはエスコフィエを読もうと思わないようだから、どうでもいいことなのだろう。

読みもしない、とうぜん理解していない本をフランス料理関係者がありがたがるのはどういうわけだ、と思うのだが、エスコフィエの本が「フランス料理のバイブル」と評されているのは文字通りの意味ではなく、ある種の皮肉なのだろう。聖書はヨーロッパのどの家庭にもあるけれど、実際に読む者はすくない、というよく知られたはなしだ(それが事実かどうかは知らない。ただ、留学中に知りあったあるイタリア人が「俺はカトリックだけど聖書は読んだことないよ」と真顔で言っていたのをよく憶えている)。

話が逸れてしまった。légume がもっぱら豆の意味だった時代、野菜はどう呼ばれていたかというと、葉菜類は feuilles や herbes 果菜類は fruits 根菜類は racines、生で食べるものは salade、野菜全般は plantes potagères などと呼ばれていた。ほかにもあるが代表的なものはこんなところか。ただ、料理書などでは野菜全般とひとくくりにされることはなかったようで、さいごの表現はあまり見かけない。そもそも野菜という概念がなかったか、すくなくともあまり一般的なかったと言えるだろう。

なお、現代イタリア語で legumi は豆の意味であって、野菜全般は指さない。

それから、日本語で豆というとまず大豆がイメージされるだろうが、現代フランス語で豆に相当する pois はえんどう豆のことだ。いんげん豆もポピュラーだがあれはアメリカ大陸原産で、もともとヨーロッパにはなかった。だから16世紀以前の文献に出てくる légumes はえんどう豆、そら豆、レンズ豆、ひよこ豆と思っていい。