不都合な真実? 残念な事実?

(注)最初はFBに投稿した文章です(FBからは削除済み)。


「裏方仕事」がほとんどとはいえ、僕も料理雑誌に顔写真が載ること3回(僕の記憶が確かなら、他に一般誌1回、経済新聞1回)、雑誌連載が3年半ちょっと。実際のところほぼ無名なのは自分でもよく分かっているつもりだけど、まるきり表に出ないわけじゃないんですよね。FBで「エスコフィエ『料理の手引き』全注解」のグループを主宰したりもしてるし。

ある料理人さんの言によると、僕がこうやってちょいとばかり表に出てきちゃってから、かつて「クラシック!」と言って意気軒昂だった料理人さんたちがいまいち元気なくしちゃってる……と。

マ ジ す か ?

ひょっとして僕自身が「不都合な存在」? あるいは「存在の耐えられない鬱陶しさ」?

どうもこの傾向、注釈を徹底的につける「全注解」に舵を切ったあたりからやや強くなっているような……

一緒に仕事が出来ると愉しいと思うんだけどなぁ……お互いに「知らなかったこと」「誤読していたこと」だって、ディスカッションするなかで見つかったりすると、嬉しいじゃないですか。僕だって100%正しく解釈出来てるという保証はないわけだし。

上述の甘木氏いわく「料理業界の95%は嘘、ハッタリ、大袈裟」じゃろってことらしいけど、「エスコフィエ『料理の手引き』全注解」ってのはそんなに「不都合な真実」を暴く「おっかない」ものになりそうなのか…… でなけりゃ、とっくに関連団体(すくなくとも2つはあって、その関係者の方々がこれだけ大っぴらにやってるプロジェクトをまったく知らないってのもの不自然でしょう?)からスポンサーのアプローチがあってもよさそうなものなのに……ないです、全然、まったく。まるっきり。100%無視されてる感じ……

クラシックを標榜してきたのに、クラシックの聖典と崇めてきた『料理の手引き』を、じつのところロクに理解していないという「残念な事実」を突き付けられるってのは、ある意味、残酷なことですが、ほんとうにそんなの恐れちゃってるんでしょうか?

僕は『料理の手引き』でもデュボワでもカレームでも、はたまた中世の料理書でも「再現」する必要なんてない、「ネタ本」としてうまく活用すればいい、派なんですけど。料理は自由なもので、唯一の正義は食べ手が美味しいと感じること。そのためにだったらレシピだってじゃんじゃん変えちゃえばいい。ただ、元を理解せずにやっちゃうのと、理解した上で変えるのは、一見して違いがわかる、と言ってるだけなんですけどね……

僕の仕事が「不都合な真実」を明らかにするパンドラの箱になりかねない、ってのは再三言ってきた(書いてきた)ことですけど、やっぱりそうなのかな……と、いまだ1ケタの支援者数を見て思うんです。