まねることと学ぶこと

巷ではデザインのトレース疑惑、ありていに言えば盗用が話題になっているようだ。先日、インタビュー(というか実質は対談)で「知識を得るのは(表現者として)自由になるため」ということに触れたが、これとの関係で誤解されやすいことがあるのでちょっと書き記しておく。

「学ぶことはまねること」などという言葉がある。たしかに、外国語学習などを考えればとてもわかりやすいだろう。たとえば録音教材の発音をまねる、すなわち発音の習得につながる。あるいは「習字」。お手本をまねて書くことで字の書き方を学ぶ。

ところで創作においてはオリジナリティがなによりも重視される。というよりも前提である。オリジナリティのない創作物は凡庸と切り捨てられる。丸写し、いわゆるパクリなど論外だ。知的財産権の侵害である。表現者(たとえ自称であっても)が絶対にやってはいけない行為とされる1

このふたつを合わせてみる。学ぶことがまねることだとすると、オリジナリティが必要な創作においては、学ぶなどという面倒なことはしなくていい、というかしてはいけないように思えるかも知れない。ところが事実は逆だ。オリジナリティを獲得するためにこそ、まねることを含めて学ぶという行為が重要なのだ。

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野菜生産者としては使い捨てられるよりは無名のままがいいのだが

雑誌の編集者さんから、某有名ハーブ園のはなしをきいた。取材申し込みをしても「新規の取引はできないので、露出はひかえている」と断わられるのだそうだ。

僕の場合、テレビ、ラジオの取材のオファーをいただいたことがあるが、それらはご遠慮申しあげた。が、雑誌については、これまでのところお断りしたことがない。雑誌は校正(といってもたいていは原稿段階での内容チェック)をさせてもらえるが、新聞、テレビ、ラジオはそれをさせてくれない。それだけの理由だ。

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露地、ゼンマルでプンタ定植

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プンタレッレで露地、全面マルチ栽培はめずらしいかも知れない。プンタはほんらい、冬の寒さが穏やかなところのものだから、最低気温が−10℃を下回るような寒冷地ではハウス栽培にせざるを得ない。じっさい、露地ではあまり大きなプンタレッレは期待できない。

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ブレットはたしかにふだんそうなのだが

とるに足らない些事に拘泥することを「こだわる」という。その意味でたしかに僕の「こだわり」にすぎぬが、ブレットをなんの注釈もなく「フダンソウ」と呼ばれることには、ブレット愛好者としてはどうしても抵抗を感じてしまう。

勝手なもので、ビエトラだとまったく違和感を覚えない。なにしろ blette も bietola もフランス語かイタリア語かというちがいだけで、おなじような品種群だからだ。

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むかし légume は豆だった

たまにはフランス語の豆知識でも書いておこう。

こんにちフランス語で légume といえば野菜全般を意味する。が、古くは豆類のことだった。いや、現代フランス語でも「豆」の意味はある。TLFiでは légume の項の冒頭に「豆」の意味での説明が出てくる。野菜全般の意味はその後だ。

  1. Vx. Graines qui sont dans une gousse.
  2. Fruit des légumineuses. Synon. gousse.

日本語にすると、「1. さやに入っている豆」「2. 豆科の実。gousse と同義」。つまりは豆そのもの、および「さや豆」の両方を意味する。

ここで引用した 1 の語義は「古語」という扱いだ。手元の旺文社『ロワイヤル仏和中辞典』も同様になっている。とくに古い文献を読むのでなければ覚えなくてもいいように感じられるかもしれないがそうではない。

エスコフィエ『料理の手引き』、「野菜」légumes の章には Cuisson des légumes secs という項目がある。もちろん、「乾燥豆の調理」だ。いぜんに雑誌連載で訳を載せたので参照されたい(「専門料理」2014年1月号)。このときは「調理」の語は省いて「乾燥豆」と訳した。

エスコフィエの『料理の手引き』はたしかに100年前の本だが、古語ではない。近現代のフランス語で書かれている。

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Cameline / Canelline

16世紀の『フランス語訳プラティナ』(ラテン語原書 De honesta voluptate は15世紀)をぱらぱらと眺めていたら “Saulce canelline1” が目にとまった。もちろんソース・カムリーヌ sauce cameline のことである。焼いたパンを赤ワインに浸してふやかし、すりつぶしてシナモン、しょうが、ヴェルジュなどを合わせて漉した中世の代表的なソースだ。

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濃緑がそんなにいいのか?

ほうれんそうやパセリが代表的だが、とかく濃緑が好まれる葉菜類は少なくない。そのほうがマーケットで評価され、高く売れるからだという。

種苗会社のカタログなどには「緑が濃い!」という文字がいたるところに踊り、生産者は濃緑に仕上がるように栽培をする。

濃緑を好むというのは心情的には理解できなくもない。ただ、サヴォイキャベツについて、玉の内部まで濃緑なのが欲しいなどと言われたときには呆れた。それも一度じゃない。流通や料理のプロから何度かそう言われたことがある。

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サヴォイキャベツは結球野菜だ。結球野菜というのは、玉の内側の葉が日光に当たらないことによって自然に軟白されるのが特徴だ。光合成はもっぱら外葉がおこなっている。すべての葉が濃い緑色であることを期待するなら、結球野菜はそれに応えることができない。そんなに緑がよければサヴォイじゃなくてカーヴォロネーロを使えばいいじゃないか。

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ブレットの写真。上は Blette blonde à carde blanche de Lyon というタイプ。ブロンドというだけに葉色はかなり薄い。下は一般的な Blette verte à carde blanche。こちらのほうが緑は圧倒的に濃くなる。僕はリヨンタイプのほうが好きなのだが、手持ちの種子は緑のほうが古く、そちらを先に使うことにしたので、今シーズンはいまのところリヨンタイプは蒔いていない。

パセリがお皿の飾りであるかぎり、皿の上でしおれてはならない?

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パセリの間引きをした。品種は Alto (Vilmorin)。間引きだからろくにカールしていないし、風味もまだまだ弱いけれど、みじん切りにしたら充分愉しめた。

さて、掲題の迷文。『野菜園芸大百科』(農文協)の一節だ。パセリを収穫、出荷する際に気をつけるべき品質1についてである。

パセリがお皿の飾りであるかぎり、皿の上でしおれてはならない。そして適度の縮みと濃いグリーンをもち、病斑や食害痕があってはならない。(『野菜園芸大百科』、農文協、第14巻、p.396)

たしかに正しいことを言っているのだが、どうにも可笑しい。そして、軽々には笑いとばせない現実を思い出して暗澹とする。

パセリをたんなる装飾要素としてしか捉えていない愚については言うまい。世の中にはパセリを食べものではないと思っている気の毒なひともいるようだが…

それよりも「しおれてはならない」のところだ。これは生産者に要求すべきことなのか? 流通業者や調理するひとの問題のほうが大きいのではないか? 「ちょっとやそっとではしおれない」しかも「濃いグリーン」のパセリを要求された生産者は、若い葉ではなくやや老化気味の葉を出荷するだろう。そういう葉は硬いし苦味も強い。だが丈夫だ。緑も濃い。

どんな野菜にも収穫適期というのがある。美味しさのピークがある。品目、季節によってちがうが、ほんの数日だったりする。パセリもそうだ。いい具合に縮れていてしかも柔らかい葉を収穫するのがいい。鮮烈な香りと適度な苦味、口に障らない程度のテクスチュアが愉しめる。

そういう葉は軟弱だ。ちょっとやそっとでしおれてしまうかもしれない。調理をするひとが雑な洗い方をすればつぶれたりするかもしれない。

なべて野菜というのはベストの美味しさを提供するのがまことに難しい。パセリは、いい頃合いの葉を使う直前に摘んでくるのがいちばんいい。それが出来ずともせめて、洗うのも刻むのも皿にのせる直前にするといい。


  1. 生産、流通現場で言われる、野菜の「品質」という言葉は事実上「見た目のよさ」と同義と言っていいだろう。