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ロティスールとは(2)
「専門料理」連載「エスコフィエを読む」2013年8月号「ロティ(1)」の補足記事です.
さて,お待ちかね(?)のロティスールという職業についてです. フランス革命の少し前,ルイ16世の時代にギルドが廃止されるまで,食にかかわる職業は職種ごとに組合があり,法律で取扱品目が限定されていました.言ってみれば独占販売権ですから,互いに利権争いをしていました.ブゥシェ boucher は牛,羊を屠殺して肉を販売する権利がある ((viande de boucherie は直訳すると「肉屋の肉」だから食肉なら何でも含まれるような気もするかも知れませんが,実際には牛,羊の肉しか指しません.豚やジビエが含まれていないのはこういう歴史的背景があります.)) .ロティスール rôtisseur はロティした肉ならどんな種類のものも販売していいが,ソースは売ってはいけない.トレトゥールはラグーを作って販売出来る.パティシエは肉を生地で包んで焼いたもの(パテ pâté )や生地を焼いた菓子を製造販売する.シャルキュティエ charcutier は豚肉および豚肉加工品を扱うが豚を屠殺することは出来ない…といった具合です.
ロティスールの組合は1509年にブゥシェから分化したかたちで成立しました.当初はプゥライユール poullaieur と言っていました.それ以前はブゥシェがロティを扱っていたということになりますね.実際,ブゥシェの組合は中世には4家が権利を独占していたが1481年以降,魚とシャルキュトリ,ジビエ,ロティスリ,内臓の販売権を失なったということです.
ついでに,シャルキュティエの組合の成立は1475年,パティシエは1440年です. ロティスールは素材を串(ブロッシュ broche)で刺して焼いていました.オーヴンは使いませんでした.というか使えなかったんです.肉を焼くのにオーヴンを使うのはパティシエだったんです.
画像は17世紀の戯画.ロティスールの使う道具(=串)と扱っている素材がよく分かりますね.
ところで,ロティスールとかパティシエといった職業名を名乗るのは親方だけです.その下で働く職人,徒弟はそういった職業名を名乗らなかった(許されなかった)ようです.また,利権がらみですから世襲が基本で,跡取りがいなければ娘婿(通常は徒弟の中で優秀な者)が継ぐといったケースが殆どだったようです.ロティスールにしろパティシエにしろ利権争いをするような組合組織があったわけですが,キュイジニエという言葉(古くはクー queue とかエキュイエ écuyer という言葉も用いられました)は「料理人」「料理をする人」という意味の一般的な名称でしたから,利権がらみの組合なんてありませんでしたし,料理人は誰でもキュイジニエと呼ばれていたわけです.
というわけで,もう一度ブリヤ・サヴァランの言葉を見てみましょう.
On devient cuisinier, mais on naît rôtisseur.
「(キュイジニエという職業は制限がないから)誰でもキュイジニエにはなれるけど,ロティスールは(組合やらいろいろ制限があって)誰にでもなれるものじゃない」というようにも解釈できなくはないわけです. ところがブリヤ・サヴァランのこの言葉,元ネタらしきものがあるんです.辻静雄は
これは分からん言葉ですね.四番目,十四番目と同じような何かのパロディというような気がしますが.岩波書店の『ギリシャ・ラテン引用語事典』というのをパラパラとめくっていましたら「高貴なる人は生まれる,作られず」なんてのが出ていましたから,こんなところが案外出所かもしれないと思いますね.(「ブリア-サヴァラン『美味礼讃』を読む」)
と書いています.そう,パロディなんです.前回のエントリで述べましたように『味覚の生理学』というのは基本的には「おもしろ読み物」なんです.だから遊び心があると考えるのが自然です. で,元ネタらしきもの.ローマ時代の政治家,文筆家キケロの
Nascuntur poetae fiunt oratores
フランス語だと
On naît poète on devient orateur
順は逆ですがよく似ていますよね.「人は生まれながらにして詩人だが,雄弁家には努力しないとなれない」くらいの意味です.これを踏まえてブリヤ・サヴァランの言葉を解釈すると… いや,パロディですし,そもそもアフォリズムという短文形式はひとつの限定された解釈をするのが非常に難しいというか,いろんな解釈が可能ですから,とりあえずこのくらいにしておきましょうか.
いずれにしても『ル・ギード・キュリネール』で引用されている文脈では「誰でもキュイジニエになることは出来るが,ロティールは生まれつきの才能次第だ」という意味です.そう解釈してやらないと『ル・ギード・キュリネール』の方を読み間違えることになってしまうのでご注意を.
ロティスールとは(1)
「専門料理」連載「エスコフィエを読む」2013年8月号「ロティ(1)」の補足記事です.
ブリヤ・サヴァランの有名なアフォリズム
誰でもキュイジニエになることは出来るが,ロティールは生まれつきの才能次第だ
もうちょっと分かりやすく書き直すと
料理ってのは誰でもやれば出来るようになるけど,ロースト(ロティール)だけは才能がモノを言う
って感じですが,こんなこと言われたらそりゃ気になりますよね.エスコフィエも相当に気になっていたようで,このアフォリズムを引用していますが,驚くべきことに初版と第2版以降ではニュアンスが随分と違うんです.そこで今回の連載記事では「ロティ」の冒頭部分を初版と最終版の両方訳出しておきました.
初版の方は,ロティールについてはどんなに頑張っても素養がなければどうにもならない,という立場です.人によってはには絶望的(?)な宣告かも知れません.一方で,第2版以降は「ほんのわずかの素養さえあれば」努力次第でどうにかなる,と言っています.
どうして『ル・ギード・キュリネール』の記述が180度ニュアンスを変えたのかはわかりません.が,ブリヤ・サヴァラン『味覚の生理学』という本は本質的には「面白読み物」であって,科学的な分析の本でもないし,料理の聖典でもないんです.このあたりがどうも誤解されやすいようで,ウィキペディアには
『美味礼讃』は直訳のタイトルに<味覚の生理学>とあるように、学問書を意図している
などと書いてありますが,実際にじっくり読んでみると全然学問的じゃないんですよ.部分的に学問的であるというポーズはとっていますけどね.
そもそもこの『味覚の生理学』Physiologie du goût, ou méditations de gastronomie transcendante は1826年,著者の最晩年に匿名で出版されたんです.ポイントは匿名だったということ.ブリヤ・サヴァランという人は法律家で,専門の法律関係の著作はちゃんと本名で出していました.つまり『味覚の生理学』は本名で出せるような本じゃない,ということだったんです(少なくともブリヤ・サヴァラン自身はそう考えたわけです).
実際,タイトルに「生理学」と謳ってはいますけど,内容は文字通りの生理学とは何の関係もない.甘味,塩味,苦味…といった味を舌や口腔で関知する生理メカニズムなんかまったくお構いなしです.食に関連する蘊蓄,逸話,独自理論の展開…がこの本の中心です.まぁ,エッセーみたいなものです.
出版直後からそこそこヒットしたみたいで1834年には第4版が出ています,さて,この本を気に入ったバルザックという小説家が1829年に『結婚の生理学』Physiologie du mariage ou méditations de philosophie éclectique, sur le bonheur et le malheur conjugal, publiées par un jeune célibataire という本を出します.フランス語の題名がそっくりですよね.ここまで似ているとオマージュなんだかパロディなんだかわからなくなりそうですが,この本がまたそれなりにヒットしまして,柳の下のドジョウよろしく,その後同じようなタイトルの本がぞろぞろ出版されます.「床屋の生理学」「お妾さんの生理学」「歌の生理学」「パリの全劇場のロビーの生理学」「ブゥローニュの森の生理学」… まぁ現代では文化史研究でもしないかぎりどうでもいいと言われかねないような本ばっかりなんですが,「生理学モノ」という1ジャンルを築いたと言ってもいいわけです.
『味覚の生理学』はそういうわけで,書いてあることを何でも額面通りに鵜呑みにしちゃうと,とんでもない誤解をするような本なんです.
さて,問題の「誰でもキュイジニエになることは出来るが,ロティールは生まれつきの才能次第だ」ですが,原文は
On devient cuisinier, mais on naît rôtisseur.
アフォリズムは日本語で「警句」とも言いますが,「思考や観察の結果を簡潔な形で,皮肉に,しんらつに,諧謔的に述べたもの」です.短かい表現で説明がないわけですから,いろんな解釈が出来る場合も多い.で,混乱しちゃったりするんですよね.このアフォリズムの一般的な解釈は上で書いたように「誰でもキュイジニエになることは出来るが,ロティールは生まれつきの才能次第だ」となります.
でも,他の解釈も可能なんですよね.色々考えさせられる.そういう仕掛けになってるんです.そのためには「ロティスール」rôtisseur とは何なのかということを知る必要があります.
というわけでこのエントリ,次回に続きます.