中世(1)

はじめに

ベルトラン・ゲガンは、フランス文学を勉強している者にとって比較的なじみのある名だろう。アロイジウス・ベルトランの散文詩集『夜のガスパール』の校訂やルネサンス期の詩人ロンサールの研究で知られている。だから僕も、二十歳かそこいらの頃から名前だけは知っていたが、詩文には苦手意識があって敬遠していた。ずっと後に、すこし真面目にフランスの食文化史のことを調べるようになって、かくもゲガンの仕事に学ぶことになろうとは思ってもいなかった。

それはともかく、食文化史関連でのゲガンの業績でまず挙げるべきは、レシピ集『フランス料理の本』Le Cuisinier français ou les meilleures recettes d’autrefois et d’aujourd’hui, Paris, Emile-Paul Frères, 1934 の序文「フランス料理史覚書」だろう。ほかにも、アピキウスをはじめてフランス語に訳したことは重要だ。ついでに、ニニョンの著作は事実上ゲガンが書いたものだとかという説もどこかで読んだことがあるが、これは証拠を見つけていないから真偽の程は知らぬ。ニニョンの文体には料理人らしからぬところがあるから、いかにもあり得そうなことだとは思う。

「フランス料理史覚書」は原著で80ページ程のもので、さほど長いわけではない。辻静雄がいくつかのエッセイで、フランス料理史を学ぶための最良のものと繰り返し絶賛しているから、料理人さんたちの間で多少は知られているようだ。

そんなこともあって、「ひとつ訳してやろうか」などと思い、実際にそれなりの分量は訳したのだが、刊行できるアテもないし、雑誌連載でエスコフィエの部分訳と注釈をやった経験と照らしあわせると、「フランス料理史覚書」に興味を持つであろう人が理解できる訳文など僕には到底無理だと思うに至った。フランスの文化史をそれなりに知っていることが前提に書かれているのだ。ただ日本語にしただけでは意味不明だろう。ならばいっそのことエッセンスだけ抜きだして「超訳」でもやればいいのだろうが、それは僕の仕事ではない。むしろ、訳文なんぞ「おまけ」に見えるくらい徹底した注釈を書くほうが僕好みだ。

全部やるとかなりの分量になるのは確実で、ブログでちまちまと書いていたらいつ終わるとも知れぬ。僕の悪い癖で、途中で嫌気がさして投げ出してしまう気もしないではない。だが、とりあえず始めてみよう。

小見出しには初版のページと何番目の段落かを示しておく。ページ番号は原書にしたがってローマ数字だ。ゲガン『フランス料理の本』はすくなくとも1980年と1998年に再版されているが、ページの振り方は初版と違っているかも知れない。

p.IX(1)

14世紀の、犢皮紙とくひしの手稿本に、料理に関する短かい文章が収められている。ラテン語で書かれていてひどく解読しづらい。この文章の前にはアンリ・ダマンドヴィルの外科術が収められている。題名は「全ての飲食物の調理と味付けの方法について」。

犢皮紙の手稿本…

冒頭から非常に敷居が高い文かも知れない。いや、訳文ならどうということもなく理解できるというのであれば問題はない。

だが、犢皮紙なんて聞いたことがあるだろうか? 羊皮紙ならわかるだろうか… 近現代の「紙」は主として木材パルプを原料にしているが、中世ヨーロッパでは羊や山羊、仔牛などの皮をごく薄く伸ばしたものが多く用いられていた。一般的には羊皮紙 parchemin と呼ばれるが、高級なものは犢皮紙 vélin といって区別されたという。辞書的な説明だと、犢皮紙は死産した仔牛の皮を原料としたものを指す。

グーテンベルクが活版印刷技術を発明したのは15世紀のことだ。だからフランスでも活字を用いた書物は15世紀より前に存在しない。それまでの本はもっぱら手書きだった(木版印刷もあるにはあったから「もっぱら」という表現になる)。著者本人による自筆のもの以外に、手で書き写して「複製」したものが非常に多い。そのなかには写す過程で絵が加えられたり、改変がおこなわれたり、編集に類することがおこなわれたりもした。

代表的といえるかわからぬが、中世の手稿本の画像をひとつ掲げておく。もちろん、装飾などほとんどない文字ばかりの手稿本も多いのだが、ゲガンのこの文を読んでイメージされるのは多かれ少なかれこのようなものだろう。

YouTubeでとてもわかりやすい動画を見つけた。ナレーションはフランス語だが、映像がきれいなのでイメージはつかみやすいだろう。

なお、ゲガンが参照したこの手稿本のPDFファイルはフランス国立図書館のサイトで閲覧できる。

また、文字データに直したものもネットで公開されている。

ラテン語…

中世フランスで話されていた言語はフランス語だ。もちろん現代フランス語とはかなり違う。最も古いフランス語の文書とされている「ストラスブールの誓約書」は9世紀、叙事詩「ローランの歌」は11世紀、クレティアン・ド・トロワによる一連のアーサー王物語は12世紀だ。中世においてフランス語は文学言語としての地位を確立していた。が、宗教や学術においてはラテン語が圧倒的な優位を保っていた。日本で、かな文字が早くから文学言語にとり込まれたのに対して、公文書などでは近世まで漢文が用いられ続けたのと似ている。

外科術…

では、ラテン語で書かれた「全ての飲食物の調理と味付けの方法について」が学術的な性格のものだったかというとそうではない。それを示唆しているのが、前に収められているというのが外科術についてのものだということだ。

ヨーロッパ中世において医学とは内科のことを意味し、外科は含まれなかった。外科は理髪師の仕事であり、大学の医学部で学ぶものではなかった。

だから、「全ての飲食物の調理と味付けの方法について」がラテン語で書かれているから学術的な性格のものだとはいえないわけだ。やはり「実用書」的なものと見るべきだ。