エスコフィエは「料理の手引き」序文にこう書いている。

本書は、かつて私が構想したとおりとは言い難い出来だが、いずれはそうなるべく努めねばなるまい。とはいえ、現状でも料理人諸君にとって大いに役立つものと信じている。だからこそ本書を誰にでも、とりわけ若い料理人諸君に買える価格にした。そもそも若い料理人諸君にこそこの本を読んで貰いたい。今はまだ初心者であったとしても、20 年後には組織のトップに立つべき人材なのだから。

私はこの本を豪華な装丁の、書棚の飾りのごときにするのは望まぬ。そうではなく、いつでも、どんな時でも手元に置いて、分からないことを常に明らかにしてくれる盟友として欲しい。

日本には、この記述を錦の御旗のように掲げて「だから日本語訳も安価にすべき」と阿房な主張をするひともいるようだ(というか実際にいた)。いや、高価とか安価といった「判断」は個人それぞれの状況と主観に左右されるからいちがいに言えない。だから「事実」を見るだけにしよう。

エスコフィエ『料理の手引き』初版扉のシール

画像はフランス国立図書館蔵 Escoffier, Auguste, Le guide culinaire, Paris, L’Art culinaire, 1903.1https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k65768837.r=Escoffier,%20Auguste?rk=85837;2 つまり『料理の手引』初版の扉ページを拡大したもの。販売価格を記したシールが貼られているのがわかるだろうか。12フラン。

ところがこれ、版元であるラール・キュリネールの同名雑誌年間購読料。まったく紛らわしい。雑誌「ラール・キュリネール」に掲載された広告を見ると

L’Art culinaire 1903

さて、8フランがいまの日本円でどのくらいの価値なのか気になる向きは多いだろう。

フランスは20世紀初頭まで金本位制だったから100年以上金銭の価値に大きな変動はなかったとされている。ただこの金本位制だけを頼りに計算するとおかしな数字になってしまうので、1フラン=5,000〜6,000円くらいで考えるのがこんにちでは一般的なようだ。これは労働者の賃金をベースに考えた場合で、食料品価格をベースに1フラン=2,000円くらいとするケースもある。僕が学生の頃は無根拠に19世紀の1フラン=1,000円と覚えていて、バルザックの小説などを読みながら「なんか計算合わないというか感覚的におかしいんじゃないか、この登場人物たち」とずっと思っていた。いずれにしてもエンゲル係数がとんでもなく高かった昔のことだというのを忘れてはいけない。ここで「実感」が大きく異なるからだ。

そもそも、過去のモノの価値を現在の価格に置き換えることじたいがあまり学術的な結果を期待できないものだ。価値というきわめて主観的な判断に依存したものを定量化、数値として比較するのはナンセンスと言ってもいい。上で書いた5,000〜6,000円という数字もあくまで目安にすぎない。

それでも大雑把に見積もると、『料理の手引き』初版、1903年時点で8フラン=40,000〜48,000円くらいということになろうか。

もちろん当時はTVA(付加価値税)なんてなかったから、いまならそれが価格に上のせされるだろう。フランスのTVAは書籍だと5.5%(軽減税率、標準だと20%)、日本なら10%。「いまの価格に置き換える」というならこれも勘定に入れないといけない。

さて、エスコフィエの序文にもどって「若い料理人諸君に買える価格」と豪華な装丁の、書棚の飾りのごときにするのは望まぬ」という表現はいっけんしたところまったく矛盾がないように思えるだろう。というかそもそも矛盾していると気づかないかもしれない。

ここで『料理の手引き』の判型つまり本のサイズが問題になるのだが、すでに長くなってしまったので次回にしようと思う(つづく)。

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