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彼は美味しいもの、とりわけ美味しいワインが大事だと言ってはばからない。まずワインについて語ることから論を始める。「ワインは飲み物のなかでもっとも美味しく、価値がある。だから他のどんなものよりも尊重すべきなのだ。ワインは精神と肉体を強健にし、消化を助け、体質改善となり、悲しみや苦痛をまぎらわせてくれ、人を愉しく陽気にさせる」。とはいえ、我々皆の父祖であるノアの賢い弟子らしく、次のようなただし書きをしている。「私がここで述べたことが正しいと言えるのは、おかしな混ぜ物など入っていない美味しいワインをほどほどに飲んだ場合だけだ」。
はばからない…
中世には美食を罪とする考え方があった。もっとも、中世にかぎらず、近代になっても美食を論じることをあまり品のいいこととしない風潮はあった。ゲガンのこの「フランス料理史覚書」にしたって、アカデミックな手法による体系的な食文化史研究の嚆矢といっていいくらいだ。ゲガン以前の食文化史研究といえばヴィケールの書誌とピショワらによるタイユヴァン研究くらいしか見るべきものがない。
なお、ブリヤ=サヴァランを「美食学の祖」と見るむきもあるが、『美食の生理学』は本質的に面白読み物的なエッセイであって、けっしてアカデミックな書物ではない。このことを踏まえたうえできちんと評価すべきなのだが、日本でこのことをいくら説いても誰も聞く耳を持ってくれない。
いまでこそ欧米の大学では食物史、食文化史研究が盛んにおこなわれているが、それにしたってさほど昔からというわけではない。ましてや日本では… こういう仕事は大学などのアカデミックな研究機関で充分な研究費をかけてなされるべきであって、僕のごとき農家のおやじが気まぐれに在野でやるものではないと思うのだが…
美味しいワイン…
キリスト教文明においてワインが特別な意味を持つ、とても重要なものであることは言うまでもない。だから Liber de Coquina がワインについての記述で始まることはけっしておかしくない。
ちなみに、1224年ごろの詩「ワインの戦い」La Bataille des vins に見られるように、13世紀には既に、ワインが産地ごとに評価されるようになっていた。
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ノアの賢い弟子…
旧約聖書に、方舟の洪水の後、葡萄を栽培していたノアが、あるときワインを飲んで酔いつぶれ、裸で眠ってしまったという記述がある。「新共同訳」から該当部分を引用しておく。
さて、ノアは農夫となり、ぶどう畑を作った。あるとき、ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、自分の父の裸を見て、外にいた二人の兄弟に告げた。セムとヤフェトは着物を取って自分たちの肩に掛け、後ろ向きに歩いて行き、父の裸を覆った。二人は顔を背けたままで、父の裸を見なかった。ノアは酔いからさめると、末の息子がしたことを知り、こう言った。「カナンは呪われよ。奴隷の奴隷となり、兄たちに仕えよ。」(創世記9章20〜25節)
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なお、ノアはフランス語で Noé ノエ。
おかしな混ぜ物…
原文の frelaté は、ワインに異質なものを混ぜて偽造すること。要するにまがいもののインチキなワインを指している。蜂蜜と香料を加えて作られた中世の代表的なワイン、イポクラースなどのことではない。
偽造ワインなど現代にはなかろうと思ったら大間違いのようだ。2011年の記事だが、中国で砂糖水、人工香料、着色料を混ぜた偽ワインが問題になったらしい。
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あるいは、銘醸ワインの偽物など掃いて捨てるほどあるようで、そのなかには文字通りの vin frelaté もあるのだろう。