p.IX(4) = p.X(1)
この文章は古典ラテン語より後の時代のラテン語で書かれたわけだが、古典ラテン語の料理書や18世紀以前にフランス語で書かれたものと比べても、その文章が流麗なことに驚かされる。著者はおそらくパリの人だった。そのことは、本文にフランス語の単語が散見されることや、いくつものレシピがそっくりそのままタイユヴァンやピドゥの著作に見られることからもわかる。本稿ではこのラテン語の文についてはこれ以上は論じない。この筆者が書いている調理論と同様のものが、フランス語で書かれた別の小文でまとめられているからだ。このフランス語で書かれた小文の方だが、おそらく1306年に手稿本が作られた。料理に関するフランス語の文献としてもっとも古い。題名は『薄い色や濃い色の赤ワインなど全ての飲み物および諸国の様々な作法によるあらゆる食べ物の調理法についての指南書』(1) 。この小文に書かれているものは、見事なまでに簡素だ。後の時代の料理人たち程、砂糖や香辛料を使わないし、香草についても、セージ、ヒソップ、パセリくらいだ。ティベリウス帝時代の有名な美食家アピキウスと同様、肉は茹でてからローストしたり油で焼いたりした。肉をローストする場合は豚背脂を刺した。油で焼く場合は単に切り分けるだけだった。生肉はにんにくやこしょうを用いて調理し、塩漬け肉にはマスタードを使った。「去勢鶏と雌鶏はローストし、夏はワインを使ったソースで、冬はにんにく、シナモン、生姜にアーモンドミルクと羊乳を加えたソースでいただく」。青さぎ、くろ鴨、コランド、千鳥、ノンセルのような猟鳥は頭と足をつけたままローストする。孔雀と白鳥も同じように調理するが、羽を使ってソースを塗り、「いろいろな香辛料、紫うこん、芹の粉を振りかける」。火が通ったらアピキウスが書いているように、粉をぬぐい取って供する。領主には首づる、頭、手羽、腿を取り分け、「他の者には残りを」出す。
(1) 国立図書館所蔵番号 F. lat. 7131の99〜100枚目に書かれているこの小文は1865年、ドゥエ・ダルクによって出版された。
後の時代のラテン語…
要するに中世ラテン語ということ。古典ラテン語はもっぱら紀元前1世紀頃から数百年間のものを指す。ラテン語の歴史については Wikipedia (日本語) のページを参照するといい。
古典ラテン語の料理書…
いうまでもなく De re coquinaria 通称「アピキウス」を指す。1世紀頃実在した人物マルクス・ガウィウス・アピキウスの著作として扱われてきたが、実際には著者不明。おそらくは長期にわたり写本を繰り返す間に複数の人物によって編集、加筆されて現在残っている内容のものとなった。4世紀末か5世紀初頭の成立とされている。なお、アピキウスに関する Wikipediaの日本語ページは2017年1月の時点できわめて不正確なものなので参照する場合は英語またはフランス語のページを利用するといい。
文章が流麗…
料理書とは本質的には料理の作り方つまりレシピの集合体だから、実際問題として、その文体など気にする人はそう多くないだろう。この点で、ゲガンの視座はきわめて独自のものといえる。
タイユヴァン、ピドゥ…
いずれも中世の料理書。後出。
砂糖や香辛料…
いずれも中世料理を特徴づけるものとしてよく知られている。
肉は茹でてからロースト…
これも中世料理の特徴。というよりも「原則」のようなものと考えていい。ポイントは最初に茹でるということ。つまり、血のしたたるローストというのは原理的にあり得なかったわけだ。
なお、ロースト(ロティ)は肉に串を刺して直火で焼く、いわゆる「あぶり焼き」であって、オーブン焼きではない。現代日本ではフライパンでバターをかけながら焼いたものを「ロティ」と称することもあるようだが、料理用語の使い方として個人的には感心しない。
豚背脂を刺した…
20世紀初頭のエスコフィエまで続く、ローストの基本的な技法。フランス語は larder ラルデ。細長い棒状に切った豚背脂を、ローストする肉の筋線維に沿った方向に刺し入れる。ラルドワール(ラルデ針)という道具を用いるが、これの存在は14世紀、ユスターシュ・デシャンの風刺詩『結婚の鏡』で確認される。
青さぎ、くろ鴨、コランド、千鳥、ノンセル…孔雀、白鳥…
古い料理書では、現代では想像もつかないものが食材として扱われていることに驚かされるだろう。とりわけ孔雀と白鳥は「豪華な」食材だった。コランドとノンセルは不明。
ソース…
後で具体的なレシピの例がいくつも出てくるが、さしあたり、中世料理の「ソース」がかならずしも液体状のものとはかぎらなかったことは覚えておきたい。