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16世紀中頃まで、料理は今日のようにそれぞれ別の皿に盛られるのではなく、1回のサーヴィス1で供される料理をいくつも、一枚の大皿にまとめて盛られていた。これを当時は「メ」metsと呼んでいた。だから、いろんなローストを皿に山盛りにしたのが一つの「メ」だったわけで、ソース各種が別添で供されたのだった。一枚の大きな深皿に肉料理と魚料理と野菜料理を山のように盛り込むことが当たり前に行なわれていた。このひどいサルミゴンディ2状態の皿も「メ」と呼ばれていた。つまり中世では「メ」という言葉は(後世の)「サーヴィス」と同じ意味だったのだ。
以下は『ル・メナジエ・ド・パリ』に出ている、4回のサーヴィスからなる正餐(ディネ)3の献立である。明らかに、それぞれの「メ」を構成する料理が一つにまとめられている。
第1の「メ」…牛肉のパテとリソール4、黒いポレ5、八つ目うなぎのグラヴェ6、肉のドイツ風ブルーエ、肉たっぷりのブルーエ、魚の白いソース、アルブゥラートル。
第2の「メ」…肉のロティ、海水魚、淡水魚、肉のクルトネ7、ラニオール8、仔兎と小鳥たっぷりのロゼ9 熱いソース、トゥルト。
第3の「メ」…タンシュ10 パン添え、ブラン・マンジェ、レ・ラルデ11、猪の尾 熱いソース、去勢鶏 ソース・ドディーヌ、ブレーム12と鮭のパテ、プリ13の水煮、レシュフリート14とダリオル。
第4の「メ」…フロマンテ15、猟獣、ドリュール16、魚のロースト、フロワド・ソージュ17、裏返しにしたうなぎ18、魚のジュレ、去勢鶏のパテ【原注1】。
【原注1】サン・マルタン・デ・シャンの聖具納室係補の勘定書きから、1430年時点のブルジョワの正餐の内容と、当時の物価を知ることができる。1430年10月4日の正餐、列席者はギヨーム・アントラン氏夫人、ジャン・リュリエ氏夫人、ジャック・ブロラール氏夫人、ジャン・フゥルコー氏夫人。費用は以下のとおり。山うずら2羽、雉1羽、鳩4羽…13ソル。若い去勢鶏3羽…15ソル。野兎1羽…6ソル。仔牛胸肉(半分はポタージュ用、半分はロティ)…4ソル。鯉1尾、ブロシェ191尾、うなぎ1尾…22ソル。食材の運び賃2回分…8ドゥニエ。ロティに用いる炭…16ドゥニエ。牛すね肉…15ドゥニエ。ソース用ぶどう果汁…12ドゥニエ。シヴェ用のサフラン…8ドゥニエ。食事の始めに供するのと、ソースに用いるぶどう…12ドゥニエ。洋梨…8ドゥニエ。シヴェに用いる玉ねぎ…2ドゥニエ。細かい香辛料…12ドゥニエ。ソース・ヴェルトとソース・カムリーヌ…12ドゥニエ。ロティなどに用いる豚背脂…12ドゥニエ。ゴイエール202つ…6ソル4ドゥニエ。イポクラ211.5L…9ソル。合計…4リーヴル6ソル2ドゥニエ。ほかに、パン1ダース…4ソル。ワイン8カルト(20パント22)…17ソル9ドゥニエ。
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16世紀後半から19世紀前半にかけては、一度に何種類もの料理がまとめて食卓に運ばれ、それらを食べ終わったら次の料理もまたまとめて提供されるということを数回繰り返す習慣だった。この、料理を提供する1回を「サーヴィス」(フランス語では service セルヴィス)といい、1回目のサーヴィス、2回目のサーヴィス…と呼んだ。 ↩
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「ごった煮」のこと。 ↩
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ディネ dîner は夕食ではなく、「正餐」の意。時間帯は時代によって異なるが、『ル・メナジエ・ド・パリ』の例は午餐。 ↩
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いずれも生地で素材を包んで焼いたもの。 ↩
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ポワローやブレットを刻んで煮込んだもの。 ↩
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主に冬に作られるポタージュ(煮込み料理)。 ↩
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なめらかなピュレ。 ↩
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茹でた去勢鶏と牛骨髄、細かく刻んだ乾しぶどうを生地で小さく包み、ラードで揚げたもの。 ↩
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セードル・ヴェルメイユという香辛料で色づけしたポター ジュ。現代であればビーツで代用可。 ↩
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コイ科の淡水魚。 ↩
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キッシュに似た料理。 ↩
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コイ科の淡水魚。 ↩
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鰈の近縁種。 ↩
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薄切りにしたパンまたは肉を油で揚げたもの。 ↩
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精白した小麦で作る粥。 ↩
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卵黄などでコーティングした肉団子。 ↩
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4つに切って茹で冷ました鶏に、セージとパセリ、卵黄などで作ったソースを塗って供する冷製料理。 ↩
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皮を剥いて背開きにしたうなぎを、内と外が逆になるよう折り返し、赤ワインで煮た料理。 ↩
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川かますの一種。 ↩
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チーズ入りのタルト。 ↩
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香辛料入りの甘いワイン。 ↩
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約4L。 ↩