孔雀のルヴェチュ

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この豪華な献立からは、野菜料理が重視されなかったことがわかる。我々の祖先は野菜料理はたまにしか食べなかったのだ1。しかも、えんどう豆、そら豆2、ポワロー、ビーツ3くらいしか使わなかった。野菜はもっぱらピュレかポタージュにして供されるが、「メ」と上手く調和してはいなかった。ところで、食器や皿のしつらえについては、こんにち我々が想像する以上に客の興味を引いたのだった。宴の終りには、皿の中身よりも「アントルメ4」の時間に見た、さまざまな仕掛け、戦の寸劇、ダンスなどの余興のことを覚えているに過ぎなかった。年代記作者も回想録の作者も、宴席のそれ以外のディテールについては書き残してはいない。また、立派な正餐の席では必ず、白鳥や孔雀の「ルヴェチュ」【原注1】が供された。孔雀を切り分ける前に、屋敷の主人が大胆に戦うことの誓いや愛の誓いの言葉を述べることもあり、「孔雀の誓い」と呼ばれた。これによってますます宴たけなわとなるのだった。

【原注1】孔雀のルヴェチュはアントルメの時に、大きな菓子やジュレとともに供された。孔雀ではなく豚や仔牛丸ごと一頭のローストが供されることもあった。アントルメの後、フレッシュな果物やコンポートといったデザートが運ばれて来る。最後に、イポクラをかけた焼き菓子が供された。飲み物は、デザートまでは普通の赤または白ワインで、食事が終わると「エピス・デ・シャンブルや砂糖菓子、ジャムなどを食べながら香辛料入りの火を通したワインを飲んだ。この最後のサーヴィスを「イスュ」と呼んだ。以下にタイユヴァンから「白鳥のルヴェチュ」のレシピを引用しておく。「白鳥は(羽を毟らずに)肩の間に管を刺して膨らませ、腹の皮を縦に切り開く。首は肩のあたりで切り、胴の皮を完全に剥ぐ。手羽と足はつけたままにしておく。ローストし、火が通ったら溶き卵などを塗って黄金色に焼く。先に剥いだ皮をかぶせ、首はまっすぐ立てるか、平らに置く。ポワーヴル・ジョネ5で食する」。


  1. 原文 Nos pères n’en mangeaient que rarement をそのまま訳した。ゲガンはしばしば主観的な評価を下していることに注意。 

  2. ゲガンはここで言及していないが、現代フランス語で「野菜」を意味する légume は古語では「豆類」だけを指した。豆類のなかで好まれたのは本文にあるように、えんどう豆、そら豆、他はレンズ豆くらいだろう。いんげん豆はアメリカ大陸原産で、16世紀以降に広まった。 

  3. もとはおなじ野菜である根菜のビーツと葉菜のブレットが明確に品種分化したのは15〜16世紀のこと。そのため、中世の文献での bette は根菜と葉菜の両方のケースがある。 

  4. アントルメentremetsは本来、「メ」と「メ」の間、の意。食卓に並べられた料理を食べ終わり、次の「メ」が供されるまでの間、さまざまな余興が催された。 

  5. 生姜、サフラン、こしょう、サフラン、パン、ヴィネガー、ヴェルジュで作るソース。