ブリヤサヴァランの『美味礼賛』(味覚の生理学 Physiologie du goût, 1825)冒頭のアフォリズム(警句)のひとつに

Les animaux se repaissent ; l’homme mange ; l’homme d’esprit seul sait manger.
すべての動物は喰む。ひとも食べる。食事することを心得ているのは知的なひとだけ。

というのがある。アフォリズム形式というのはニーチェや芥川龍之介が好んだ。古くはラ・ロシュフーコーの『箴言』(17世紀)が日本では有名だろうか。前後の文脈をとりはらった短文で読者(受け手)を感心させたり納得あるいは考察のきっかけを与えるものだから、いろんな解釈ができる。

このアフォリズムは3つの節(主語+動詞)から構成されている。ひとつめと2つめが対句、2つめと3つめも同様という二重構造になっている。

1. Les animaux se repaissent ; l’homme mange; すべての動物は喰うという行為をする。人間も食べるという行為をする。
2. l’homme mange ; l’homme d’esprit seul sait manger. 人間は食事をする。そのなかで知的な人間だけが食事をすることを心得ている。

食べるという行為じたいはひとも獣もあまり変わらない。じぶんという個体の生命活動を維持するためにひつような栄養を摂取する行為だ(1)。ひとと獣のちがいは何か。知性があるかないか、思考があるかないか、という点だ(2)。

このアフォリズムでは動物と人間という対立項だけではなく、知的な人間とそれ以外(の人間および動物)という対立が示されていて、後者にむしろ重きがおかれている。大雑把にいってしまえば、知的エリートと呼ばれるひとびとのみが、食事を真の意味で愉しみ、味わうことができる、ということだ。

ここでさらっと「知的なひと」と訳したhomme d’espritという語句。ほかに「才知・機智に富んだひと」などの訳語もある。エスプリという語に日本人は過剰反応しやすいが、あまり深く考えずに「頭の切れる・賢いひと」くらいに理解したほうがいいように思う。ただ、そう訳すとたんにIQが高いだけみたいになってしまう気がしたから「知的な」を採用している。ちなみに、IQは知性の高さを示す数値ではない。IQについてはYoutubeなどに解説動画がたくさんある。

ちょっと乱暴だが、18世紀という啓蒙主義の時代においてhomme d’espritは啓蒙する側のひと、と理解してもいい。つまり頭が切れるということに知識の多寡や質、ものの考え方と態度も含まれていたわけで、それを全人格的に表現した言葉だろう。19世紀の小説などでhomme d’espritは「すごいひと・立派なひと・賢いひと」くらいに解釈されるケースも多い。

自分はただ食べるだけの側なのか、食事することを心得ている側なのか。結論をいってしまうと、答えは「本人のありよう次第」となろう。ただおいしいと感じるものを食べてよろこぶだけなら動物寄り。それを考察し、考えることも含めてたのしむ、味わい、場合によっては他者に伝えるなら後者ということになる。

日本人は食にうるさい国民性だという。ただ、うるさく言うにしても、自分(たちのコミュニティー)にとっておいしいと感じるかどうかの判断で止まってしまうことが多い。だけど動物だって選り好みする。ペースト状の猫の餌に、日本の多くの飼い猫が夢中になり、大ヒットしたことはよく知られている。虫だって選り好みする。野菜の種類によってつく虫がちがうのは常識だろう。だから「おいしい」という認知とそれにもとづく行動の変化(選択)は人間固有のものではない。

Youtubeでいろいろな食品製造工場や農場の動画をみていると、こんにちわれわれが日常的に食べているのがまさしく餌にほかならないと感じさせられることは多い。20世紀以降に発展著しかった食品工業とはまさに餌の大量生産プロセスだ。たとえば

それが悪いとは思わない。いいか悪いかはまったく別の問題だ。大量生産を否定して手作りならいいのか。手作りだって餌は餌だ。作り手と食べ手に知性と知識、考察がなければ餌のままだ。結局のところ、われわれ食べ手がどのように食とむきあうかの問題だろう。

蛇足になるが、ブリヤサヴァラン『美味礼賛』(味覚の生理学)は哲学書でも科学書でもない。おもしろ読み物的性格をもった雑文・エッセイ集だ。随所に真理(と思われること)をいったり、考えさせられる文章があるからとても味わい深く、知的な意味で「おもしろ読み物」となっている。スタンダールの『恋愛論』も似たような性格をもっている。『美味礼賛』を読んで、この知的・おもしろ読み物の「二匹目のどじょう」を狙ったのが小説家バルザックの最初のヒット作『結婚の生理学』という書物。両者のヒットにより、19世紀をとおして「○○の生理学」という本が数多く刊行されることとなった。その多くは「まるわかり○○」とか「おもしろ○○のすべて」くらいの性格の本である。こういう背景を無視して飲食関係者や自称美食家(食通)の多くがブリヤサヴァランとその著『美味礼賛』をありがたがっているのはなんとも滑稽に思える。(©2024 lespoucesverts Manabu GOTO)

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