パテとテリーヌって何がどう違うの? 日本でパテドカンパーニュが流行った頃よく耳にした疑問だ。当時の日本では魚介のすり身に生クリームなどを加えて加熱したものをテリーヌといっていることが多かったから、肉をつかったものがパテで魚のはテリーヌと早合点していたひともいるかもしれない。

とはいえこの区別は定着しなかったらしい。2024年の時点で販売されているキャットフードには「やわらかパテ まぐろ」とか「やわらかパテ かつお」「やわらかパテ お肉・お魚ミックス」というのがあるらしい。肉魚どちらもありだ。もちろんテリーヌを謳ったキャットフードも存在するようで、ざっとググっただけだが「まぐろ・ささみ」とか「なめらかビーフ」「七面鳥」などがテリーヌとして売られている。いまどきのよそんちのお猫さまはなかなか舌が肥えってらっしゃると思わせてくれる。

https://kalkan.jp/products/adult/pouch-patty-maguro.html

すでに述べたように、お互いに理解しあえるなら料理名なんて自由にどうつけたっていい。けれどキャットフードの例をみるまでもなく、パテとテリーヌはあまりに混乱した使われかたがされてる印象だから辞書的な定義を確認しておくのは無駄じゃないだろう。

すでに述べたように小麦粉などを水や油脂で練った(捏ねた)もので肉や魚を包んで焼いたものをフランス料理では(もともとの意味での)パテという。このパテの中身つまり生地に包まれているほうはじつにいろいろで、塊肉だったり魚1尾まるごとだったり、味付けしたミンチ肉だったり、すり身(ペースト)だったりする。これを踏まえてエスコフィエ『料理の手引き』をみると「11. 冷製 ガランティーヌ・パテ・テリーヌ」に

テリーヌとはクルートなしのパテのこと

と簡潔に説明されている。ただこれは結果的にそうであるということであって歴史的経緯などははいっさい考慮されていないちょっと乱暴な定義だ。

同書の鶏の冷製のところにプラルド(肥鶏)のテリーヌというレシピがある。丸鶏のもも以外から骨をとりのぞいてフォワグラ、仔牛肉、鶏レバーのファルスグラタン(ペーストみたいなもの)、トリュフなどを腹に詰める。もとの丸鶏の形状になように閉じてシート状にした豚背脂で包みマティニョンと呼ばれる香味野菜ミックスとともに鍋に入れて蒸し焼きにする(このやりかたをエスコフィエではポワレと呼ぶ)。これをぴったりサイズの陶器の鍋(テリーヌはもともと陶器のこと)に入れてジュレ(ゼリー)を注いで冷やし固める、というものだ。

ちなみに1979年に書かれたモーパッサンの短編小説「脂肪の塊」に出てくる鶏2羽のテリーヌはこれの詰め物のグレードを落したエコノミー版みたいなのをイメージするとかなりちかいように思う。

豪華な料理だが、さきの「テリーヌとはクルートなしのパテ」という定義とあわせると「思ってたのとちがう」となりかねない。だから「ガランティーヌ・パテ・テリーヌ」のところのは「(以下に示す)テリーヌとはクルートなしのパテ」という具合に補って読んでやる必要がある。くどいようだがパテとは小麦粉などを水や油脂で練った(捏ねた)生地で包んで焼いたもの、だからだ。

いっぽう、パテドカンパーニュのように生地で包まないものもパテの名を冠することがある。マルティニック料理として知られるパテアンポpâté en potにいたってはスープ(液体料理)だ(じつは「タイユヴァン」にパテアンポの記述があり、生地をつかわない料理だからフランス語の料理名としてはかなり古いものだ)。

パテドカンパーニュは豚肉と豚レバーのミンチに細かく刻んだ豚背脂などを混ぜ込んで味付けし、テリーヌ型などに詰めてオーブンで蒸し焼きにしたもの。型の内側に薄い豚背脂のシートを貼る(型から出したときに豚背脂で包まれている見た目になる)場合もあるが、生地じゃないからやっぱりパテの条件からはずれる。

そもそもパテクルート(パテアンクルート)という名称だっておかしい、パテにしたパテ、パイ包み焼きにしたパイ包み、頭痛が痛い、重複表現(重言)にみえる。パテクルートやパテドカンパーニュのパテと呼ぶのはシャルキュトリーcharcuterie用語由来だという。シャルキュトリーとは豚肉加工品のこと。

シャルキュトリー、豚肉加工業者は肉屋(ブシュリーboucherie)分離するかたちで同業者組合が結成され、業種として確立した。業種ごとの権利保護を目的とした規制があった時代だからシャルキュトリーではパテを作って販売することができなかった。パテを製造販売できるのはパティシエだけだった。

すでに述べたようにフランス語でパット(パート)という。このパットを使った料理およびそれを製造販売する店をパティスリーと総称し、パティスリー職人(料理人)をパティシエといった。パティスリはオーブンをつかってパテやトゥルト、そのほか甘い菓子もふくめたパティスリーを製造販売していたが、ローストrôtiの調理は許されていなかった。ローストはロティスールがおこなう調理だったからだ。そんなわけで肉屋(ブシェ)もロティスールもパティシエもシャルキュティエも同業者組合があって権利保護されて棲みわけていた。王侯貴族や大ブルジョワ、教会が宴席の料理を外注することがよくあり、16世紀カトリーヌ・ド・メディシスを主賓としたあるパーティーの料理発注記録をみると、肉料理のリストが2種類あり、ひとつはロティスールとパティシエそれぞれに注文していたことがわかる。

そんなわけでシャルキュトリーではオーブンを使ったパテを作ることができなかった。ただ、時代がずっと下って近代になるとトレトゥール(惣菜・仕出し屋)が台頭してくる。トレトゥールはシャルキュティエと守備範囲が重なるからかシャルキュトリーの伝統をひきついでいる。いまでもシャルキュトリ・トレトゥールなどとまとめて看板をかかげていたりする。

どういうわけかシャルキュトリーではパテの中の詰め物(ファルスfarce)のうちある種のものをパテと呼んでいたらしい。それがパテドカンパーニュ。カンパーニュcampagneは田舎のことだから田舎風パテのこと。生地で包んで焼いたものはパテアンクルート(いまでいうパテクルート)、ということみたいだ。いまやパテクルートは世界選手権が開催されているくらいだから調べればその成立についてもきちっとした説明がきっとあるだろうことに期待。(つづく)(©2024 lespoucesverts Manabu GOTO)

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