みんな大好きビーフ・ウェリントン、イギリス料理の代表的なレパートリーのひとつだ。日本では伝統的フランス料理だと思ってるひともいるみたいだが、日本語のウィキペディアをみてもちゃんとイギリス料理と書いてあるので妙に安心した(2024年2月閲覧)。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3

ビーフ・ウェリントンはいろんなバリエーションがあるみたいだが、基本的にはこんな感じだろう。牛フィレ肉のブロックを周囲にシャンピニョン・デュクセルを厚く塗り、折りパイ生地で包んで焼く。フォワグラやトリュフを射込んだりもする。

この料理名が記録にのこされるようになって百年以上だし、高級料理におけるフランスとイギリスの境界はなんとも曖昧なところがあるから、声高に「ビーフ・ウェリントンはフランス料理じゃない!」などと主張する必要はない。だいたいの食べ手にとってはフランス料理だろうとイギリス料理だろうとおいしければどちらでもいいだろう。それにフランスでもよく知られた料理だし、フランス語で作り方を解説・実演しているYoutube動画も多い。

それはともかく、ビーフ・ウェリントンはフランス語だと通常boeuf Wellingtonと表記するが、すこし詳しく書くとfilet de boeuf en croûte Wellingtonとなる。生地で包んで焼いた牛フィレ・ウェリントンということ。伝説的とさえいえるボキューズのすずきのパイ包み焼きはbar ou loup en croûte。

そう、パテクルートpâté croûteのクルートだ。じゃあクルートがパイ包み焼きという意味かというとそこまで単純じゃない。アラン・パサールのスペシャリテ、ビーツの塩釜焼きはbetterave en croûte de selだし、パンのクラスト(食パンなら耳、フランスパンなら外側のこんがり焼けた皮) もクルートという。クルートにパイの意味はない(というかパイに限定されない)。クルートはそもそも「殻」のことだ。

ならばパイとは何か? 日本語のパイとイギリス料理のpieはかならずしもイコールじゃない。プリンとpuddingの代表的イメージがまるで違うのとおなじだ。日本語のパイは通常、小麦粉とバターを練った生地を焼いたものをいう。かつてはアップルパイとかナポレオンパイ(ミルフィーユ、ミルフイユ)のような甘いものだけを指した(昔はピザのことをピザパイともいったがとりあえずこれは除外しておこう)。

英語にしろフランス語にしろ機械的に日本語に翻訳できるものではなく、それぞれの言語の背景にある文化について知識・理解が必要なことは、AI翻訳があいかわらずポンコツなことからもわかるだろう。すくなくとも食や文学についてAIはまったく人間にかなわないのが2024年の現状だ。

さて、イギリス料理にビーフステークパイbeefsteak pieというのがある。すこし高さのある皿(パイ皿)に牛肉と水を入れて生地をかぶせて焼いたものだ。底と側面にも生地をつかう場合もある。グフェ『パティスリーの本』(1873)ではbeefsteak-pie pâté de boeuf à l’anglaiseとなっている。そう、フランス語というかフランス料理の文脈に置くと、イギリス風牛肉のパテとなる。ただしフランス語のpâtéはpieとイコールじゃない。

フランス語のpâtéをモンタニェ『ラルース・ガストロノミック』初版(1937)でひくと「肉や魚を生地(フォンセ生地やフイユタージュなど)で包んでオーブンで焼いたもの」と説明されている。ネットで利用できる最大のフランス語辞典TLFiも似たような感じで、さらにcroûteの同義語としている。

https://www.cnrtl.fr/definition/p%C3%A2t%C3%A9

そんなわけでビーフ・ウェリントンもすずきのパイ包み焼きもパテ(のようなもの)といってよさそうだ。ただ、通常はパテと呼ばないだけのこと。これはけっこう大事なことで、料理名なんてものは考えたひと、調理したひと、食べるひとが自分の理解で名づけてそれが定着するのだから基本的に自由だけど、言葉である以上はお互いに通じないといけない。レストランなどの場合、食べ手が料理名をみて期待あるいは予想して注文したものとまるきりかけはなれた料理が出てきたらまことに具合がわるい。そういう意味では日本でパテというと意味が限定的になったり英語由来のパティと混同される可能性もあるから注意がひつようだ。

中世のパテにはどんなものがあったか。14世紀に成立したといわれる「タイユヴァン」は写本、版によって異動が大きいからジェローム・ピション、ジョルジュ・ヴィケール編の研究版(1892)の索引から書き写す。

アローズ(アロサ にしんの近縁種)のパテ、アンギーユ(ヨーロッパうなぎ)のパテ、牛肉のパテ、牛肉のパテと熱いソース、ブレーム(鯉科の淡水魚)のパテ、四旬節のパテ、鹿のパテ、シャポン(去勢鶏)のパテ、仔山羊のパテ、あなごのパテ、うさぎのパテ、森鳩のパテ、羊ジゴ(もも)のパテ、グロンダン(カナガシラの近縁種)のパテ、去勢若鶏のパテ、ヤツメウナギのパテ、野うさぎのパテ、ロレーヌ(地方)のパテ、メルル(ツグミ)とモヴェ(雲雀)のパテ、モワル(牛骨髄)のパテ、シブール(葱)入り羊のパテ、驢馬のパテ、ボラのパテ、雛鵞鳥のパテ、雀のパテ、ペルドリ(山うずら)のパテ、洋梨のパテ、鶏のパテ ソース・ロベール、鳩のパテ、ルジェ(かさごの近縁種)のパテ、猪のパテ、パテと温かいソース、サーモンのパテ、トラウトのパテ、テュルボ(ひらめの近縁種)のパテ、雌牛のパテ、仔牛のパテ、ノルウェー風パテ

パテとよく似たものにトゥルトtourteがある。こんにちではトゥルトから分化したタルトtarteのほうがよく知られているがもとはおなじだ。「タイユヴァン」の上記研究版ではタルトルtartreと表記されている。パテとおなじく索引から列挙してみる(いまのタルトのイメージに引きずられないためにトゥルトと書く)。

ブルボン風トゥルト、生地で覆った一般的なトゥルト、生地で覆わないトゥルト、ジャコバン風トゥルト、詰め物たっぷりのジャコバン風トゥルト、りんごのトゥルト、四旬節のトゥルト、両面トゥルト

ほかにタルムーズtalmouseとかリソールrissoleなど小麦粉を混ねた生地をつかう料理はいくつか言及されているが「タイユヴァン」では圧倒的にパテが多い。

パテという語はパット(pâteパートとも)からの派生語だ。そもそも小麦粉などを水や油脂で練った(あるいは混ねた)生地をパットという。イタリアのパスタもフランス語でパットいうのはこのためだ。そして、小麦粉などを水や油脂で練った(あるいは混ねた)生地で食材を包んで焼いたものをパテと呼んだわけだ。そして、この生地をあつかう料理をパティスリ、それそ作る料理人(職人)あるいはパティスリの作り方の本をパティシエと呼んだ。いまではパティシエは菓子職人の意味でしか使われなくなってしまったが、広い意味のほうのパティシエは19世紀後半まで使われた。まぎれもなくパテはパティスリだったわけだ。(つづく)(©2024 lespoucesverts Manabu GOTO)

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