p.XIII(4)=p.XIV(1)

『ル・メナジエ・ド・パリ』は(全体としては料理書ではなく1)家政書だ。書かれたのは1392年6月から1394年9月の間。著者はかなり高齢の、パリの裕福なブルジョワで、両親のいない15才の娘を嫁に娶ったのだった。このブルジョワは多くの従僕を抱えており、その筆頭には家令またはメートル・ドテルにあたる「歳出係ジャン」と、若妻に付き人として従う「アニェス・ラ・ベギーヌ2」がいた。老ブルジョワは幼な妻にこう書き与える。「小間使いを雇う場合は、以前どんな所にいたのか、実際に従僕をそこに行かせ、口が軽かったり酒飲みでないかなどを調べさせてからにしなさい。(略)15〜20才くらいの小間使いを雇う場合には、その年頃の娘というのはお馬鹿で世間知らずなのだから、自分の部屋の近くで寝かせるようにしなさい。窓が低いところにはない、なおかつ、通りに面していない衣装部屋か寝室を使わせること。(略)従者が病気になった場合は、他の事は後回しにして、心から従者を思いやること。快方に向かうよう細かく気を配ってやりなさい…」

『ル・メナジエ・ド・パリ』15世紀の写本

『ル・メナジエ・ド・パリ』はタイユヴァン同様、中世の食文化を識るための最重要文献のひとつだが、料理人が書いた料理書ではない。本文に書かれているとおりであるなら、高齢の裕福な老人がとても若い嫁に読ませるためにまとめた大部の私家本ということになる。内容は、良家の妻としての心構え、生活態度から菜園仕事、食材の買い出し、レシピにいたるまで多岐にわたっている。

「メナジエ」mesnagier (現代の綴りでは ménagier)は ménage 「家事、家政」の派生語で、viandier (← viande 食べもの)や cuisinier (← cuisine 料理)と同様に、語尾 -ier は「〜についての本」という意味。だから直訳すれば「パリの家政書」だ。

上で「まとめた」と書いたのは、『ル・メナジエ・ド・パリ』の内容の多くに下敷きとなる書物があり、場合によってはそっくりそのまま丸写しされているからだ。現代の日本なら「盗作」と非難されかねない。が、知的財産権などどいう近現代の概念を中世にあてはめてはいけない3。写本の際に文章に手を加えることはあたりまえだったし、複数の本をひとつにまとめて「編集」し、そこにあらたにオリジナルの文章を加えるということもあった。『ル・メナジエ・ド・パリ』もそうで、フランス中世の文献の成り立ちとしては典型的なもののひとつだ。

ところで、「両親のいない15才の娘」は、ゲガンの原文が une orpheline de quinze ans 、『ル・メナジエ・ド・パリ』の本文にもある表現だ。ここを「15才の孤児」と訳しては具合が悪かろう。そもそも orpheline という語に過剰に反応してはいけない。比喩的表現とも解釈できるのだ。裕福な老ブルジョワが気まぐれに街角で身寄りのない子どもを拾ってきて妻にしたとは到底考えられない。それに15才というのは当時なら、確かに若いけれどもけっして「子ども4」ではない。また、このような「本」を書き与えるくらいだから、嫁に娶った時点ですでに娘は読み書きが充分にできた筈だ。中世において読み書きができるというのはそれだけで社会階層の上位にいることを示している。『マイ・フェア・レディ』とは違うのだ。


  1. 括弧内訳者補筆。 

  2. ベルギー発祥の女子修道院ベギン会の修道女をベギーヌと呼ぶ。 

  3. いまの日本は「オリジナル信仰」がやや極端に過ぎるようだが、無からいきなり何かを作ることはできないのだから、すべての知的生産活動は既存のものを直接あるいは間接に引用、編集したものに過ぎないという考え方もある。 

  4. フランスにおける「子ども」の概念についてはたとえば、ポール・アザール『本・子ども・大人』(紀伊國屋書店、1957年)参照。