オーギュスト・エスコフィエ(1946〜1935)の主著 Auguste Escoffier, Le guide culinaire, 1903-1921. を日本語にしたものは4つある。

(1) 秋山徳蔵 著『仏蘭西料理全書』,秋山編纂所出版部,大正12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/970458。
(2) 山本直文, 日本司厨士協同会 編『標準仏蘭西料理全書』第1巻,日本司厨士協同会,昭和13. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1257534。
(3) A.Escoffier 著 ほか『エスコフィエフランス料理』,柴田書店,1970. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12101395。
(4) オーギュスト・エスコフィエ 著, 五島学 訳『料理の手引き』電子書籍, アップルブックス, 2022.

このうち(1)は「秋山徳蔵著」となっている。エスコフィエの名は一文字も記されていない。つまり翻訳ではなく秋山徳蔵の著作ということ。ただし実態としては九割以上エスコフィエ『料理の手引き』を日本語にしたものだ。

(2)は序文にもあるがペラプラとエスコフィエの著作からレシピを選んで一部に簡単な解説を付けたもの。翻訳書ではない。ただし国会図書館の書誌には第3版もあり版を重ねたことがうかがわれる。日本でエスコフィエ『料理の手引き』のレシピが広く知られるようになったのはこのアンソロジーによるところも大きいだろう。

(3)は刊行時に本邦初訳とされていたもので、現在にいたるまで50年以上にわたって日本でエスコフィエといえばこの柴田書店を指す。序文が原書初版のものと第四版のものを途中でつなぎあわせた奇妙なものとなっており、各所で重大な誤訳がみられる。誤訳の数は膨大でとんでもない誤解・無理解にもとづくと思われるものも多い。訳出作業は訳者としてクレジットされている角田だけではなくほか数名があたったようで、訳語の不統一も目立つ。付録の用語集は訳文とまったく関係性がみられない、たんなる単語集。読解の役には立たないだろう。伝聞にすぎず典拠はないが、訳出の際に調理関係者とのやりとりはまったくなかったらしい。

(4)は僕が複数からの依頼、提案をうけて2017年ごろにフェイスブックでグループを作り気鋭の料理人5名の協力を得て訳文と注、電子書籍ならではの内部リンクなどを作成したもの。詳細な注と内部リンク、用語集、索引を付した「完全版」(2022年)と、訳文のみの「普及版」(2024年)がある。完全版と普及版の訳文はまったく同一。

さて、翻訳には寿命がある。「いま」に活かし次代につなげるためにも名作、古典は絶えず翻訳をあたらしくするのがいい。文学の愛好家や専門家のあいだでは常識となっていることだが、こと料理の分野ではあまり認識されていないようだ。

翻訳というのは訳者の解釈にすぎないから、翻訳書が複数あることはむしろ喜ばしい。シェイクスピアにしろラブレーにしろプルーストにしろ訳者によって作品の読後感は異なる。別の作品ではないかという印象をうけることさえある。どれがいいかは読者が決めることだ。ただ、読みもしないで「あの翻訳はだめだ」とか「この翻訳がありさえすればいい」などと言いきるのは滑稽だし、エスコフィエのような専門書であれば専門家として充分な知性と知識を持たないことを表明しているにほかならない。

「エスコフィエはもう古い」と断言するひともいる。確かに100年以上昔の本だから古い。ただ、古いものは読む価値がないのか? 何も役にたたないのか?

こういうことを言う料理人の多くはかつて(3)を読んで意味不明さに辟易した経験があるのだろう。その誤訳だらけの欠陥本を50年以上にわたって放置している版元も罪なことをしたものだ。

エスコフィエ『料理の手引き』は「フランス料理のバイブル」ともいわれているわけだが、すくなくとも(3)については読んでも理解できない、実用書なのに実用に適さないことを思うと、キリスト教の聖書を理解しないまま教会でミサを執りおこない説教をするインチキ神父、司祭を大量生産したかのようにさえ思える。

その、キリスト教の聖書だって日本語訳は1978年の共同訳、1987年の新共同訳、2018年の聖書協会共同訳と新訳を重ねている。

繰り返すが、翻訳には寿命がある。

ところで、古典、クラシックというのは人類にとって過去・現在・未来にわたって普遍的な価値をもつもの、という意味だ。古ければなんでも古典と呼べるわけじゃない。ましてやたんなる「昔風」をクラシックと呼びたがる料理関係者が日本に多いのはまったく哀しいことだ。大切なのはその古典の理解、知識をいまに活かし次の次代へとつなぐことだ。

ちょっと現実的なことをいうと、エスコフィエ『料理の手引き』以後に西洋料理を体系的かつ網羅的に俯瞰できる書物は知るかぎり実現していない。そもそもジュール・グフェ『料理の本』(1856)とともにフランスでは21世紀になっても刷りが重ねられており新品が入手できる。料理書の「古典」としていまも生きている。

エスコフィエを崇める必要はない。レシピどおりに作る必要もない。そうではなく、異国の食文化において古典とされている内容を知り、理解することにこそ意味がある。それを現代の異国(つまり日本)に合うように改変するのもいいし、批判あるいは否定するのでもいい。ただ、「知らない」のだけは専門家失格だと思う。

ついでだが、エスコフィエ『料理の手引き』はかならずしもフランス料理の教科書ではない。イギリス、インド、ベルギー、ロシア、イタリア、アメリカなどいろんな地域、国の食文化、レシピがたくさん盛り込まれている。それらのもととなった料理を比較しながら知ることで、こんにちの日本で異国の食文化、料理をどう取り入れて活かすかを考えるいい手本になるだろう。(2024年2月)

Front page of Escoffier, Le guide culinaire, 1903.
Front page of Escoffier, Le guide culinaire, 1903.
秋山徳蔵『仏蘭西料理全書』扉(国会図書館デジタルライブラリー)
秋山徳蔵『仏蘭西料理全書』扉(国会図書館デジタルライブラリー)
エスコフィエ『料理の手引き』電子書籍普及版カバー©2024 lespoucesverts Manabu GOTO
エスコフィエ『料理の手引き』電子書籍普及版カバー©2024 lespoucesverts Manabu GOTO
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