リエーヴル・ロワイヤルlièvre à la royale(野うさぎのロワイヤル)という料理がある。フランスガストロノミー最高峰の料理とさえ言われる。フランス料理のクラシックのひとつだ。そのことに異論はない。

この料理名は大きく分けて2種類のレシピがある。ひとつは切り分けた野うさぎの肉を原形がなくなるまで煮込んだもの。大雑把にいうとシヴェの一種。とりわけ有名なのは19世紀末から20世紀初頭にかけて新聞・雑誌でレシピが紹介されたエシャロット(玉ねぎの近縁種)とにんにくを効かせたアリスティッド・クトー風とよばれるもの。クトーはジャーナリスト出身の政治家だからクトー議員風みたく表現されることもある。ずっと後になってポール・ボキューズの調理で注目をあつめたという。

もうひとつは野うさぎを開いて骨を取り除き一枚のシート状にする。フォワグラなどを巻き込んで太い棒状に包み(バロティーヌ)、野うさぎの血や赤ワインなどを加えた煮汁で長時間加熱する(ブレゼ)。切り分けて提供するから、1人分は円盤形。こんにちの日本ではこのタイプのほうが好まれている印象がある。もっとも古いレシピのひとつはアリバブ(アンリ・バビンスキ)のだろう(こんかい参照したのは1928年の第五版)。1937年刊行のモンタニェ「ラルース・ガストロノミック」初版では「詰め物をしたリエーヴル、ペリゴール風、別名ロワイヤル」Lièvre farci à la Périgourdine ou à la Royaleとして収録されている。

ちなみにアリバブもモンタニェも上記クトー風についてはあまりいい言及はしていない(というかにべもなく言下に否定している)。

注意すべきは、エスコフィエやグフェのような19世紀料理の本でどちらの作り方にも言及がまったくないことだ。もちろん18世紀以前にもない(否定文の証明は理論的にも現実的にも困難だが)。クトー風にしろペリゴール風にしろ技法としてはとりたてて特別なものではないから似たようなレシピは数多くある。だからといって「この料理の起源はルイ十四世の宮廷まで遡る」とか「歯が悪かった王のために云々」とするのはちょっとやりすぎのように感じる。シヴェについては17世紀どころか中世に遡れるわけだし、アルフレッド・フランクラン(19世紀後半の歴史家)の「生活史」シリーズにエピソードくらい収録されていたっておかしくないだろうに(これを書くにあたってフランクランをぜんぶ読みかえしたわけじゃないから断言できないが)。

ある程度俯瞰していうなら、リエーヴル・ロワイヤルはすくなくとも19世紀末か20世紀初頭からフランス食文化のシーンに登場した比較的あたらしい料理名だ。もちろん原形となるものがあったろうし、文献ののこされていることが稀な地方料理としてとても古い可能性はある。でも、フランス料理の本流で存在感を示しはじめたのはボキューズ以後のことで、せいぜいがこの40年くらいのものだといっていいだろう。オープンしたての店舗も「老舗」になるように、おなじものが半世紀ちかく続けば伝統といっていいだろう。そういう意味でトラディショナルと呼ぶのはいい。ただ、40年そこらのものをこれぞフランス料理の伝統みたくいうのはちょっと大袈裟な気がする。

ある日突然、それまで知らなかった「伝統」があらわれることがある。記憶にあたらしいところでは「江戸しぐさ」なんかがそうだ。マナー講師というひとたちの言辞もそういうのが多い。ほとんどは根拠のない、もっともらしいでっちあげの「創作」だ。こういう創作のやっかいなところは相手を騙そうという悪意がないこと。あくまでも善意からのガセ、でまかせだ。かつて社会問題となった洗剤や寝具を使ったマルチ商法(とそれに類似するもの)にも似たところがある。

歴史とか伝統というのはあくまでも現在からみたものにすぎない。現在の自分(たち)にとって都合よく過去の事実を再編成するのはよくあることだ(史観にはそういう側面がかならずある)。でっちあげの類はその過去の事実さえしばしばいいかげんな扱いをしている。だからこそ、過去の事実をきちんと調べてじぶんで考えることが重要だと思う。

ロワイヤルこそないがエスコフィエでもグフェでもリエーヴルのレシピはたくさんある。それらを一顧だにせずロワイヤル一辺倒、猫も杓子もロワイヤルというのは、まぐろといえば握り鮨以外ないと思い込むにひとしい。

フランス語の形容詞ロワイヤルroyalは「王家の」という意味が代表的だ。ただ、フランス料理用語(料理名)のロワイヤルにその意味はあまり認められない。それどころか、フォワグラや野菜のピュレを混ぜ込んだ茶碗蒸しみたいなポタージュの浮き身(ガルニチュール)をロワイヤルと呼ぶくらいだ(この場合は名詞)。フランス王家なんて関係ないと思わざるを得ない。じっさい、レーヌ(王妃、女王)とかデュシェス(公爵夫人)、マルキーズ(侯爵夫人)などは料理名に組込まれたとたん、一般的な意味やニュアンス、コノテーションを失なってほぼ固有名詞と化す。

ちなみにポタージュに入れるロワイヤルはデュボワ『キュイジーヌ・クラシック』だとセヴィニェとかグザヴィエというように名称が版によって安定していない。言葉の意味としてその程度のものだ。

だいたい19世紀の第二帝政以降フランスは王国ではない。王侯貴族の家系はたしかに存続しているし、階級社会なのも事実だろう。民衆が上流階級への憧憬の念を抱くのも当然かもしれない。その文脈をふまえてリエーヴル・ロワイヤルという料理とその周辺を一歩さがったところから冷めた目でみると、かつて大自動車会社の社長が自らの誕生日パーティーをヴェルサイユ宮殿で盛大に開催したのと重なって映るような気がしてならない。(©2024 lespoucesverts Manabu GOTO)

 

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