ブログのアクセス解析を見ていてちょっと面白い現象を発見、というか確認。先日、続きもののエントリをふたつ 、『ル・ヴィアンディエ』のことギヨーム・ティレルのブランマンジェというのをアップした。結果は「ギヨーム・ティレルのブランマンジェ」のほうのアクセス数がほぼ倍。

ああ、これはタイトルの「ブランマンジェ」という語に反応した結果なんだろうとすぐにわかった。逆に言うと、『ル・ヴィアンディエ』という語に対する反応はとても少ないということ。

Google の検索ヒット数はある程度、そのキーワードに対する関心、 認知の広がり具合を反映しているようで、 上の現象と見事に呼応する。

3ケタも違う。 「ギヨーム・ティレルのブランマンジェ」のページにアクセスしてくれた人も、ギヨーム・ティレルについては、ひょっとしたら現代の気鋭のシェフでそんな名前のひとがいるんじゃないかと勘違いされたのかも知れない。

「ブランマンジェ」のエントリの冒頭に、前のエントリへのリンクが貼ってあるのだけど、それを踏んだ形跡はほぼ皆無。つまり「ブランマンジェ」の記事は「期待外れ」だったということになるか…

ギヨーム・ティレルではなく別名のタイユヴァンをタイトルに書けば多少は結果が違ったかも知れない。あるいはブランマンジェのエントリから『ル・ヴィアンディエ』に対する関心につなげられるような書き方もあったかも知れない。でも、無償で、しかも気まぐれに書いているブログでそこまでする必要はないだろう。僕としては、結果として読み手の興味をひかなかったことが確認できただけで充分だ。

大原則というか、とても残念な事実として、「ひとは自分が既に知っていることしか理解できない」し、「知りたいと思うことは既に自身がそう望んでいる内容だから、何らかのかたちで既知の事象に過ぎない」というのがある。まったくの未知のものはスルーするのが普通なのだ。場合によっては「見なかった」ものとして意識から追い出されてしまう。

作り手なり情報発信者がこのことをまともに受け止めて、なおかつ「ウケる」ものを提示しようとすると、最大公約数にとって既知の事象に限定することになる。結果として、受け手の知識は広がらない。ウケるものばかりやっていたら、それだけ内容は痩せていく。水は低きに流れるものだから当然だろう。そして最後は澱むだけ。僕はTVを見ないからわからないが、書籍にしろ雑誌にしろ、料理でさえそういう傾向はことのところ顕著だ。

そんなわけで、続きとしてブルゥエについて書こうと思っていたけど、あえなく挫折した (笑

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