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ビスク(1)
ある料理人さんから鳩のビスクについて知りたいと言われた。が、ビスクというのは歴史的なところを説明するには意外と大物で、きちんとやると相当な分量になってしまう。とりあえず、概説というかイントロダクションというか、さっと書けるところだけまとめておく。タイトルに(1)と記したが、(2)以降を書くかどうかはその料理人さん次第ということになるだろう。
ビスクといえば普通はエクルヴィスなどの甲殻類のポタージュを指す。が、そもそもは鳩や鶏、猟鳥のポタージュのことだった。ここまでは比較的よく知られている事柄だろう。
ビスクのレシピはラ・ヴァレーヌ『フランス料理の本』Le Cuisinier Français (1651年)が初出だ。鳩のビスク Bisque de pigeonneaux が、肉類を用いたポタージュの章のさいしょに出てくる。
TLFi というフランス語の大辞典によると、この料理名はマレルブという詩人の書簡が初出らしい。マレルブの生没年は1555〜1628年だ。つまり、この料理(名)はラ・ヴァレーヌの創案というわけではない。
語源については諸説ある。
- bis cotìa (再度火を通した、の意)に由来
- ノルマンディ方言 bisque (boisson aigre 酸味のある飲み物)に由来
- 沸騰する様子からプロヴァンス語 bisco (怒る)に由来
- Biscaye というスペインの地名に由来
どれが正しいかはわからぬが、ひとつめの説はフュルティエールが編纂した辞書(1690年)のもので、同時代という点で説得力がある。それに、説明がいかにももっともらしい。
Ce mot en ce sens vient de bis cotìa, parce que la bisque se faisant de plusieurs beatilles, il en faut faire plusieurs cuissons séparées & réitérées, avant que de luy donner la derniere cuisson & perfection.
(料理名としての)この語は bis cotìa に由来している。ビスクはいろいろなベアティーユから作られるもので、それらを別々に、火を通す作業を何度もするわけだ。それから最後にもういちど火を通して仕上げる。
こんにちの甲殻類のポタージュのレシピが頭にあるとかえってわかりづらいかも知れぬ。はじめに書いたように、そもそもは鳩などのポタージュのことだったから、まったく違う料理と思っておいたほうがいいだろう。
さて、どう違うか、フュルティエールによる定義を見てみると
un Potage exquis fait de plusieurs pigeons, poulets, beatilles, jus de mouton, & autres bons ingrediens, qu’on ne sert que sur la table des Grands Seigneurs.
鳩、鶏、ベアティーユ、羊のジュ、そのほかいろいろ美味な食材で作る、とてもおいしいポタージュ。大貴族の食卓にしかのぼらない。
もうひとつ、ラ・ヴァレーヌのレシピから100年ほど後になるが、アカデミー・フランセーズ編纂の辞書(1762年)の語義、
Espèce de potage, garni de béatilles, de champignons, de trufes, &c. Une bisque de pigeonneaux. Une bisque de poisson. Une bisque d’écrevisses. On appelle Demi-bisque, Une bisque où il entre moins d’ingrédiens.
ベアティーユ、マッシュルーム、トリュフなどを添えたポタージュの一種。仔鳩のビスク。魚のビスク。エクルヴィスのビスク。食材の種類が少ないビスクのことはドゥミビスク Demi-bisque と呼ぶ。
このふたつの辞書の説明からはいろいろなことがわかるのだが、ちょっと立ち止まって、potage ポタージュという語の意味を確認しておいたほうがいいだろう。
日本語でポタージュというと、とろみの付いた液体状の料理を指すのが一般的だろう。ところがフランス語の potage は、とろみの付いていないものも含めて、液体状の料理を意味する。コンソメも potage なのだ。日本語や英語のスープ soupe とほぼ同義ということになる。
この、液体状の料理を potage というようになったのはだいたい19世紀になってからで、それ以前は、鍋に材料を入れて何らかの液体を加えて火を通した料理全般を potage と呼んでいた。鍋 pot(ポ) で作ったものだから potage というわけだ。そんなわけで、中世〜17世紀の料理書に出ているのはポタージュだらけだ。
つまり、鳩のビスクといっても、とろりとした液体状のものを食する(日本語だと「飲む」か?)ものというわけではないのだ。
上のフュルティエールの語義は訳があまりうまくないから伝わりにくいだろうが、「いろいろ美味な食材で作る」というのはバリエーションがいろいろあるということではない。たとえば鳩のビスクであれば、主素材である鳩のほかに、いろいろな高級食材を用いるということだ。ベアティーユというのは、具体的には、雄鶏のとさかや精巣、仔牛胸腺肉、マッシュルームなど「小さな」食材をまとめて呼ぶ言い方だ。とても高級なものとして好まれていた。
なお、19〜20世紀の料理にヴォロヴァン・フィナンシエール vol-au-vent à la financière というのがあるが、ヴォロヴァンに詰めるガルニチュール・フィナンシエールの材料がまさに17〜18世紀にベアティーユと呼ばれていたものだ。フィナンシエールという名称は financier 徴税官という官職名から来ていて、18世紀までこの役職は、職務(というか権益)のおかげでたいそう裕福で権勢を誇っていたという。ガルニチュール・フィナンシエールが「リッチな」というニュアンスを持っているのは、「高級」素材をいろいろ用いていることに由来している。