p.XI(1)
16世紀にタイユヴァンやプラティナと同様、多くの美食家たちに愛読された『料理全書』1という本がある。これが書かれたのは1350年頃と考えられる。手稿は現存していない。ギヨーム・ティレルはこの本のことを知らなかったようだが、『ル・メナジエ・ド・パリ』の著者はこの本から随分と着想を得たらしい。この『料理全書』が初めて出版されたのは1540年で、その後60年の間に何度も再版された。ただしほぼいずれも海賊版で、題名も変えられ、内容も改訂され続けた。レシピの順番を変えるくらいにとどめようなどどいう良識のある本屋などほとんどいなかったのだ(原注1)。
p.XI(2)
1350年頃にこの本を書いた料理人たちは何という名前だったのだろう? 詩人がバラードを捧げるなら「風が運び去った」とでも謡うだろうか…。1540年に中世の伝統を守り続けていたピエール・ピドゥという謎に包まれた校訂者は一体何者だったのか? この料理人が実在したのかそうでなかったのか、いずれにしても南仏のペドゥーク2と同じ意味を持つこのピドゥという名よりもふさわしいものがあろうか?ペドゥークはある有名な宿屋の看板にも使われているが、何よりも、聖クロティルダ3、シバの女王、ブルゴーニュのベルタード4といった鵞鳥の足をした女王の伝説のもととなった。それはさておき、この本では hosblutz (ドイツ語の Hausenblase 魚の浮き袋から作ったゼラチン)のような通常はまず使われない語彙がいくつか用いられているので、この「大料理長」はフランドル5出身だったと考えられる(原注2)。