本には注釈というものが付いていることがある。本文中の語に番号や記号が振ってあって、欄外とか巻末に対応する記号とその説明や補足が書いてあるやつ。中学校あたりの歴史の教科書なんかで見たこともあるだろう。

この注釈、紙媒体の場合にはページの下に配置する(脚注)か章や本全体の最後にまとめる(後注)のが一般的だ。電子書籍の場合には注番号をタップしたら該当の説明部分にジャンプするか吹き出しみたくポップアップさせることも可能で、アップルブックスの場合には後者のポップアップになっている(サンプルファイルの場合は吹き出しにならないはず)。

こういう注釈がついた本というのはたいていがひどく真面目で堅苦しく、難しいものだったりする。注を見ること自体が面倒、ウザいというひとも多いだろう。だからあんまり好まれないみたいだ。そういう意味では、アップルブックスの吹き出し方式は比較的いいソリューションだと思う。

さて、翻訳者がつけた注釈を訳注という。エスコフィエ『料理の手引き』の場合、どんなに上手にフランス語を日本語に訳したとしても説明抜きじゃとうてい理解できない語句、表現が山ほどある。とりわけ料理名(に使われている人名などの固有名詞)がわからないだろう。ほとんど全部の説明を訳注にしている。〇〇を参照というのも含めてのべ4,000くらいだ。〇〇を参照というのをのぞいた訳注つまりは説明文の実数を大雑把に数えてみたら約2,200。『料理の手引き』本文のレシピ総数が5,000をちょっと超えるくらい(数え方によって変わるからいちがいには言えない)だ。

いくつか訳注の例をあげよう。ソース・ゴダール、ガルニチュール・ゴダールというのがある。通常はソースとガルニチュールをセットにする。これは18世紀に徴税官(フィナンシエ)の役職にあったクロード・ゴダール・ドクールという人物の名を冠したもの(ガルニチュール・ゴダールはガルニチュール・フィナンシエールのバリエーションみたいなもの)。

ソース・グリビッシュは語源こそはっきりしないものの、19世紀末にはレムラードの一種として知られていてプルーストの長編小説『失われた時を求めて』の最初のほうで言及されている、とか。

あるいはこういうマイナーな事項じゃなくて、トゥルヌド・ロッシーニのロッシーニが19世紀の食通で晩年はレストラン経営までしたオペラ作曲家のことだとか、そういう有名どころも訳注にまとめてある。

こういうのが2,000以上ある。これとは別に、巻末に基本用語集としてまとめたものがある。もう、五島訳『料理の手引き』の本体は訳注だと言ってしまっていいかもしれない。五島訳は本文と訳注、用語集だけで『料理の手引き』を全部理解できるようになっている。つまり訳書と参考書(解説書)をひとつにまとめてあるようなものだ。

当然ながらフランス語原書ではこれらの訳注を利用できない。そのうち何割かはフランス語の文献、資料を見ないとわからない(日本語で解説している文献、資料がない)なかなか大変な状況だ。それもこれもどうしようもない自称翻訳書をとくに問題視せず半世紀以上放置してきたツケだろう。(© 2023 Manabu GOTO)

五島学訳エスコフィエ『料理の手引き』について詳しく

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