ヘストン・ブルメンタールがエスコフィエ『料理の手引き』の英訳 (2011年改装版) に寄せた序文から引用
料理人のなかには, クラシックな伝統から逃れたい, エスコフィエのような権威は保守的で時代遅れだからと否定したい誘惑にかられるひともいるだろう. 大きな間違いだ. […] 僕に言わせれば, 偉大な料理というのは伝統を壊すことではなく, 伝統をあらたな方向に導くことで産みだされる. 革命を起すことよりも進化させることが大事なんだ. (Escoffier, Le Guide Culinaire, trad. H. L. Cracknell and R. J. Kaufmann, John Wiley & Sons, New York, 5th ed., 2011 (1st ed. 1979) , p.vii.)
ちょっとくだけた感じに訳してみましたが, 最初に読んだとき, いいこと言うなぁ, とすごく感心したんですよ. ヘストン・ブルメンタールだからこその説得力. ツテがないんで「引用」しかできませんが, 許可をとって全文訳したいくらい素晴しい序文です.
さて…
古いものを壊して新しい創造をする…一見, 格好いいですが, ともすれば薄っぺらいものしかできないんですよね. そりゃ, もしかするとすごいものができるかも知れないけど, 博打でしょう.
クリエイティヴを志向するというのは「表現行為」をすることにほかなりません. 言語の場合で考えてみると, 表現をするためには語彙と文法が必要です. 語彙は多ければ多いほど豊かな表現ができるようになります. 正しい文法にのっとった表現じゃないと「単語の羅列」になってしまい, 伝わりません. 料理もおなじだと思います. 正しい文法と豊かな語彙を身につければそれだけ「自由に」表現できるようになります. そして料理の文法と語彙は『料理の手引き』のような古典で学ぶほかありません.
「車輪の再発明」という言葉があります. Wikipediaの定義を引用すると「広く受け入れられ確立されている技術や解決法を知らずに(または意図的に無視して)、同様のものを再び一から作ること」です. 「意図的に無視して」というのは教育の現場で帰納的な学習をさせる場合のはなしで, 通常は愚かなこと, 非効率なこととして否定的な意味で使います. 「既存のものの存在を知らない」「既存のものの意味を誤解している」ということです.
正直なところ, 料理の場合, これがけっこう多いように感じています. 伝聞なんですが, あるシェフが何年もかかって到達したというある技術, 『料理の手引き』できっちり説明されてるんです. そのシェフは「エスコフィエなんて古くて役に立たない」みたいなことを雑誌の記事でおっしゃっていたんで, きっと読んでいないのでしょう. 読んでいればもっと早く, ずっと楽に到達できるでしょうし, 「古くて役に立たない」なんて言うはずがないですから…
いまエスコフィエを読むことの意義は, トラディショナルな料理を作れるようになるためだけじゃなくて, より自由でクリエイティヴな仕事をするための「語彙と文法」を知ることでもあるのです. だから, これから上を目指す若い「未来のシェフ」にこそ読んでほしいと思います.