Cuisine minimaliste, ou Ingrédients minimalistes
インスタなどで使うハッシュタグを考えていて思いついた表現。というか#cuisineminimalisteはすでにそこそこ使われている。僕が発明したわけでもなんでもない。いっぽう、日本語の#ミニマルキュイジーヌはいまのところ僕しか使っていないみたいだ。
フランス語のcuisine minimalisteという表現はなんとなくマリネッティの「未来派料理」cucina futurista (cuisine futuriste)を連想させるかもしれない。もっとも、あれはパスタ排斥=伝統的食文化の否定であり、ひとつの完全栄養食品を理想形とするトンデモだったわけで、20世紀初頭という「時代のあだ花」みたいなものと僕は思っている。
ミニマルというカタカナ語をきちんと日本語にすれば「最小限の(単純な)」くらいになるだろうか。「ミニマルな暮らし」とか「ミニマルな生き方」「ミニマルライフ」が流行ってるみたいだからその流れでミニマルキュイジーヌも受け入れられるといいなあと思っている。
ただ、料理をいうからには「おいしい」が絶対条件だと思うから、僕はあえて「キュイジーヌ」というカタカナでちょっと気取った感じにしている。いや、本もあるくらいだから「ミニマル料理」でいいんですよ(その本は読んでないけど)。その表現が定着するのだっていいと思う。たんに僕の思っているもの、僕が日々作って食べてるものとちょっとニュアンスが違うかな、というだけのこと。
だからキュイジーヌでも料理でもいいんだけど、ミニマルは素材の良さと調理する人の手際(技術)にすべてがかかってくる。都市生活者にとっては経済的にあんまりミニマルにはならないかも知れないが、素材にカネを惜しんではミニマルキュイジーヌはたんなる「手抜き料理」にしかならない。しかもたいていはおいしくない。おいしくないということはミニマルキュイジーヌとして失格だ。だから素材はとにかくいいものを使いたい。
ミニマルキュイジーヌの真価は野菜(を大切にした)料理で発揮される。ここを惜しんではいけない。考えて見てほしい。野菜はどんなに高価なものでも、牛・豚・羊肉や鶏などと比べたらたかが知れてる。野菜生産者としてはとても残念なことだが、これをケチりたがるレストラン経営者や料理人さんは多い。そりゃ、肉・魚料理に「添える」ものだったらそういう発想になるのもわからなくはないけど、だったらいっそのこと野菜なんか添えなきゃいいのにというのが素朴な感想だ。
なにしろ今の日本で、そのへんで簡単に入手できる野菜はたいていおいしくない。まずくはなくてもおいしくない。これは至極あたりまえのことで、野菜というのは芋類やかぼちゃといったでんぷん質主体のものをのぞくと、新鮮であればあるほどおいしいからだ。一般的に知られているレベルでいうと、たとえばほうれんそう。生産者が朝収穫する。当日に調製(根を切ったり傷んだ葉を取り除いて計量、袋詰め、箱詰めする)すると農協あるいは出荷場には翌朝となるパターンは多い。出荷後に卸売市場に運ばれて1日。卸売市場で販売されるのは翌朝。そこで仲卸、八百屋、スーパーなどが仕入れて小売されることになる。だいたい2〜3日。これは最短のケース。卸売市場での販売価格は需給関係で日々変わるから出荷調整といって農協などで1・2日保管されることもある。さらに、卸売市場から仲卸、八百屋、スーパーなど小売業者が仕入れたものが一般の人々の手元に届くわけだが、ここでも最短は当日、売れなければ商品がダメになるまで在庫させて売り場に並ぶか八百屋やスーパーのバックヤードの冷蔵庫に居座る。だから長ければ収穫から1週間経って売られているものはざらにある。
もうひとつ、「安全・安心」をうたう自然派の食材流通業者の場合だと、出荷されてからピッキング場に集められてそこで仕分け、箱詰めされて出荷されることが多いみたいだ。宅配食材の業者だけでなく、大手ハンバーガーチェーンや外食チェーンに納めてる八百屋さんもピッキング場を構えている。だいたいは定温庫か保冷庫になってるらしいから、そこでそれなりの時間を野菜が過ごしているであろうことはことは想像に難くない。
もうひとつ、野菜というのは収穫してから間にはいる人間が少ないほどいい。時間とか移動距離みたいに客観的な数字で表せないけれど、どういうわけか経験的にそうみたい。多分、流通過程でなんらかの形で人の手に触れるわけだが、野菜の扱いは一律でいいということなんてなく、品目や季節、産地そして個々の品物それ自体によって気を使うべきところがそれぞれ違う。そこまでの知識、技能を持った人だけがやってる仕事?
そりゃ、野菜をおいしくないと感じる人が多いわけだ。
ミニマルキュイジーヌの理想を追いもとめるなら、家庭菜園なりで自分で食材をつくり、自分で調理して自分(とごく近しい人)だけで味わうのがいい。
そう、僕が言ってるミニマルキュイジーヌというのは食を自分の手に取り戻すことに繋がる。食べるということ、食欲は個としての人間存在の根源にかかわる。そういう意味で、自分自身を自分の手に取り戻すことにつながるとつながると言ってもいいだろう。
あと、現代日本では多くの人においてアミノ酸、脂質について味覚の感受性が鈍くなってる(マヒしてる)ようだから、これらをリセットするのをお勧めしたい。とりわけアミノ酸は注意が必要で、食品の原材料表示の「調味料(アミノ酸等)」だけじゃなく「たん白加水分解物」と「酵母エキス」も気をつけたほうがいい。これらは名称こそ違うけど本質的には同じものと言っていい。
おまけ
画像は玉ねぎとマヨネーズのトースト。使った玉ねぎは泉州という品種。パンは鳥越製粉ドヌールといわゆる赤サフを用い、加水率70%で焼いた自家製(翌日使用)。マヨネーズはキユーピー。オーブントースターで200℃、11分。今年は植えたのが遅くて大きくならなかった玉ねぎだが、味わいはとてもいい。コンビニにありそうな惣菜パンだけど、パンと玉ねぎの違いで大きく変わる。いろいろ試してみると面白いかも。
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