羊肉のラグゥ(煮込み)はこんにち一般にナヴァラン navarinと呼ばれている。この名称の起源については主な説が2つある。

  1. 蕪 (navet) が語源。蕪を入れるのが定番だから。
  2. ギリシアの港ピュロスの別名 Navarin, Navarino が語源。1827年にイギリスとフランスの連合艦隊がトルコ、エジプト艦隊に勝利した「ナヴァリノの海戦」に由来する。

現在ひろく知られているのは(1)の説。ただ、素材を羊肉に限定するかについてはいくつか態度がある。ラルースの初版を現行版を比べても

なお、ラルースは初版も現行版も(2)について言及さえしていない。

ファーヴルの「事典」(1884〜1895にかけて刊行)では、リトレというフランス語大辞典の navet の項目から中世フランス語 naviel の用例(蕪を入れた胸肉の煮込みに naviel が使われている)を引いて、navarin の語源だとしている。これが(1)の説として定着したように思われる。とはいえ、 naviel → navarin というのはちょっと無理があるような気もする… そもそも、ファーヴルの記述は料理名としての navarin という「語そのもの」と、羊肉と蕪のラグゥという「料理そのもの」の切り分けが曖昧な感じだ。

ファーヴルの説で面白いのは、もとは蕪と羊肉の煮込みだったのだが、パルマンティエによって普及したじゃがいもが蕪の代わりに入れられるようになったと書いてあるところか。たしかに、パースニップがじゃがいもに駆逐されてあまり食べられなくなったことを考えると、蕪→じゃがいも、の流れは自然かも知れない。

さて、フランス語辞書のレベルで言うと、navarin という単語の一般名詞としての用例は19世紀中頃からということになっている。羊肉と蕪のラグゥという料理そのものはもっと古くからあるわけだが、19世紀中頃に、その料理を「ナヴァラン」と呼ぶようになったということだ。

残念ながらラルースもファーヴルもそのあたりについては触れていないので、自分で調べてみることにする。

オドの La cuisinière de la campagne et de la ville という本は1830年代の初版から19世紀を通して何度も再版されたロングセラーで、増補改訂が繰り返された。版を重ねるごとに記述が増えているから、こういうことを調べるにはうってつけである。

この本の Haricot de mouton の項に、19世紀後半になると「こんにち使われている新しい料理名…ナヴァラン」Nouveau nom actuel: Navarin という記述が付け加えられる。僕が確認できた範囲では1858年以降1872年以前のこと。ポイントは「新しい」nouveau というところ。何の変哲もない Haricot de mouton という昔ながらの料理に Navarin という固有名詞を付けることで、ちょっとモダンな、おいしそうなイメージになったのか、いずれにしても「ナヴァラン」と呼ぶのが多少なりとも一般化した結果としての記述であるのは確かだろう。

つまり、羊と蕪(その他の野菜)の煮込みは、それまで Haricot de mouton / Ragoût de mouton / Hochepot などと呼ばれていたが、おそらく第2帝政期(1852〜1870)の頃、どういうわけか Navarin と呼ばれるようになったわけだ。

ではそれ以前に「ナヴァラン」という料理名がなかったのかというと、そういうわけでもない。カレームの『19世紀フランス料理』第2巻にルゥジェのナヴァラン(Grosse pièce de rougets à la Navarin, p.171)がある。エクルヴィスバターを加えたメルランのファルスでルゥジェを覆ったものに「オマールのラグゥ ナヴァラン」を合わせる。

カレームのラグゥ・フィナンシエールと同様に、オマールのラグゥ・ナヴァランもソースとガルニチュールの組み合わせに対してつけられた名称だ。19世紀のガルニチュールらしくクネルが入る。ただし、オマールのクネルではない。魚のクネル。魚のクネルとオマールのエスカロップそのほかがガルニチュールの要素。ソースは魚料理用ベシャメルをベースにしたもの。そもそもソースとガルニチュールのセットに過ぎないから長時間煮込んだりはしない。

カレームの『フランス料理』は1833年初版、つまり上記ふたつめの説にある1827年のナヴァリノの海戦と時間的にとても近い。だから、カレームが1827年の海戦を念頭にこのオマールのラグゥにナヴァランと名付けた可能性も否定はできない。

いずれにしても、まったく違う料理に「ナヴァラン」という名称が付けられているというだけのことだから、第2帝政期以降の「ナヴァラン=羊肉と蕪あるいはじゃがいものラグゥ」とカレームのラグゥは別のものとして切り離して考えるのがよさそうだ。

ところで、カレームでは羊と蕪のラグゥはそのまま、Ragoût ou haricot de mouton aux navets (羊と蕪のラグゥ / アリコ)という名称になっている(第4巻、p.35)。もっとも、第4巻はカレーム自身ではなくプリュムレが完成させたものだから、「カレームとプリュムレでは」という言い方のほうが適切かも知れない。

作り方は、適当な大きさに切った羊肉をバターで炒めて小麦粉を振り入れる。小麦粉が色付くまで炒めたらフォンを注ぎ、にんじん、玉ねぎ(+クローブ)、ブーケガルニを加えて煮る。蕪は鳩の卵くらいの大きさに形を整えてバターで炒め、砂糖を加える。ラグゥの煮汁を注いで煮る(原文は、蕪をラグゥに加えるのではなく、「ラグゥのソースを(トゥルネ)注いで煮る」となっている。蕪をラグゥの鍋に入れても結果は同じに思われるが…)。羊肉が柔らかく煮えたら、にんじん、玉ねぎ、ブーケガルニは取り除き、盛り付ける。

もちろん、現在の羊のナヴァランにとても近いのだが、ナヴァランと呼んではいない。こちらはオマールのラグゥ・ナヴァランなどとは違い、ことこと煮込んだラグゥである。