「専門料理」連載「エスコフィエを読む」2013年9月号「ロティ(2)」の補足記事です.
この数年でしょうか,キュイジニエ諸氏のブログや Facebook で「ペルドロ入荷しました!」といった感じで,羽をむしる前の猟鳥類の写真をよく見かけます.ひと昔前だったら,多くの日本人にとっては「生々し過ぎ」て目をそむけたくなるような印象かも知れません.
もう15年以上前のことですが,フランスに留学していた頃,秋になると野生のうさぎが食肉処理されていない=毛皮がついたままの状態で肉屋の店頭に大量に積み上げられているのを見て軽くショックだったのを良く覚えています.そういう売り方をするというのはフランス語の教材か何かで見て知ってはいたんですけどね.
さて,9月号108ページの網掛け部分
中世には猟鳥類のロティは羽で飾って供した
解説にありますように,衛生面で問題があるからこんなことやっちゃいけません.論外です.でも,衛生面の問題を別にしたら,そういうのを「美しい」とか「美味しそう」とする食文化がフランスにあったということは知識としては持っていた方がいいでしょう.いい悪いの問題ではありません.文化というのは相対的なものですから優劣なんかないんです.日本だって魚介の活け造りや姿盛りが好まれたりしますから似たようなものです.
ひとつめの画像は『ラルース・ガストロノミーク』初版(1938年),2つめは L’art culinaire français (1950)からです.どちらもロティじゃないです.こういう仕立てを「ヴォリエール」 en volière と言います.単に盛り付け,装飾の問題ですから,シンプルな盛り付けをモットーとする『ル・ギード・キュリネール』には出ていません ((大皿料理の多い『ル・ギード・キュリネール』の,トリュフや茹でた卵の白身,赤舌肉=ラング・エカルラートなどで装飾する盛り付けの指示は現代の感覚からすると過剰に思われるかも知れませんが,それでも当時としては画期的なまでに簡略化されたものでした.)) .しつこいようですが,衛生面のリスクがありますから,絶対にこんな仕立てをやっちゃいけません.
残念なことに適当な画像が見つからないので,文字だけで説明しなければなりませんが,中世はもっと凄かったんです.まず,中世には現代ではフランス料理の食材として認知されていない白鳥,孔雀,こうのとり等のロティがとりわけ豪華な料理として好まれたということを頭に入れておいてください.
画像は14世紀末に書かれた『ル・メナジエ・ド・パリ』に出てくる,白鳥の羽をつけたままの皮を被せた仕立て(ルヴェテュ)です.両翼の付け根の間に管を差し込んで空気を入れて膨らませ,皮が肉から離れるようにする.これを腹の側から縦に切り開く.頸と手羽は皮の側に残すようにして,皮を剥ぐ.脚は肉の側につけておく.大串を刺し,弓形になるよう小串で形を整えて ((ラルデするという解釈もある)) こんがりと焼く.焼き上がったら皮をかぶせ,頸がまっすぐになるようにする.
なかなか壮絶(?)な仕立てですよね.白鳥だから大きいです.これをどーんとテーブルに置いてプレゼンテーションするわけです.どうやら17世紀くらいまではこういう仕立てが行なわれていたようです.ただ,皮はもちろん生ですから,そんなもの被せちゃったらせっかくこんがり焼いた肉の風味は損なわれますし,衛生上大問題です.論外です.当時はそういう認識はなかったとしても少なくとも美味しいものとは考えられていなかった.単に見た目が豪華なだけの,スペクタクルみたいなものだったようです.
だからでしょうか,白鳥は必ずこの仕立てというわけではなく,『ル・メナジエ・ド・パリ』でもこのルセットの直前に,普通に羽をむしってロティールする方法が出ています(頭部は羽をむしらないままとなっていますが).で,こういう仕立てにすることもあると言って「ルヴェテュ」が出てくるわけです.
この「ルヴェテュ」の仕立てはたんに「見た目の豪華さ」が主眼ですから,16世紀にイタリアから砂糖細工の技術が伝えられ,砂糖の彫刻などが作られるようになると,宴席の「華」はそちらに移行していきます.さらに時代が下ると氷の彫刻などがこれに取って代わった,と考えてもいいでしょうね.
白鳥つながりで連想されるのはエスコフィエのペーシュ・メルバ.オリジナルは氷彫刻の白鳥に盛り付けるんですよね.現代のペーシュ・メルバは白鳥の影もかたちもないのが普通だと思いますが,そもそもは,白鳥の騎士の物語であるワーグナーのオペラ『ローエングリン』のエルザを演じたネリー・メルバに捧げたデザートです.