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ラ・ヴァレーヌ『フランス料理の本』のこと

ラ・ヴァレーヌのラグゥのレシピを少しずつこのブログにアップしているが、ラ・ヴァレーヌについての基礎知識を書いていなかったことに気づいた。

フランソワ・ピエール・ド・ラ・ヴァレーヌ François Pierre de la Varenne (1618-1678)、日本ではラ・ヴァレンヌと表記することもある。17世紀の偉大なシェフ。『フランス料理の本』Le Cuisinier François (1651年)の著者。タイトルの François は Français の古い綴り。著者の名前フランソワではない。

『フランス料理の本』は『フランスの料理人』と訳されることも多いが、そもそもこの本はレシピ集である。料理人の何たるかを書いた本でもなければ、料理人の伝記や小説の類でもない。だから「料理人」という日本語タイトルでは内容に即したものとは言えない。それに、cuisinier という語にはストレートに「料理の本」という意味がある1。だから僕は『フランス料理の本』と表記することにしている。

この本の特徴は

  • 料理書ではじめてラグゥ ragoût という語を用いた
  • デュクセルの初出
  • アントルメとして野菜料理を収録した
  • とろみ付けにパンではなく小麦粉を使うようになる。ルゥの原型と見做せるものもいくつかある

などなど。何しろギヨーム・ティレル(タイユヴァン)の『ル・ヴィアンディエ』(14世紀後半)以来の料理人による料理書である。15、16世紀にはフランス語で料理人が書いた料理書は刊行されていない(少なくともその存在が伝えられていない)。料理書の歴史には200年以上も空白があるわけだから、文字通り「画期的」な本だ。

17世紀は絶対王政の時代であり、アカデミー・フランセーズによってフランス語の語彙・文法が整理、純化された。これには「言語をコントロールすることによって王権を強化する」意味合いもあった。一見、料理と何の関係もないことのようだが、王権の強化によってフランスという国家が強く意識されるようになったことと、ラ・ヴァレーヌの本がタイトルに「フランス」と掲げていることは無関係ではない。それまでの(中世)フランス語で書かれた料理書には「フランス」という国家あるいはその文化という概念、意識は認められない。これに対し、17世紀ラ・ヴァレーヌの本はタイトルから「フランス」と謳っている。(料理書は「実用書」だから当然といえば当然なのだが、だからこそ無意識的ともいえる概念の表象は意義深い)。

ラ・ヴァレーヌ『フランス料理の本』の「出版者による序文」にはこうある。

われらがフランスは、作法や礼節、いろいろな交際術において世界の他のどんな国よりも勝っているという名誉を得ているのだから、教養やマナーに秀でて品のよい生活様式についても同じように高く評価されているのだ。

ことさらに他国に対する優位性を料理という分野においても誇示している。フランス料理こそがもっとも優れた食文化であるという考えの原型と言えよう。この傾向は18世紀のマラン、19世紀のカレーム、20世紀のエスコフィエにも共通のものだ。フランス文化における「中華思想」のヴァリエーションのひとつであるが、その嚆矢と見て差し支えあるまい。少なくとも、著者その人ではなく「出版者」が書いたということを差し引いても、この本における「フランス料理」という概念の萌芽を示すものと言えるだろう。

話は逸れるが、フランス料理こそもっとも優れている、という考え方は日本のフランス料理関係者のあいだにも少なからずあるようだ。

客観的に見たら、フランスの食文化も、さまざまな地域文化のうちのひとつであり、どれが優れていてどれが劣っているなどということはあり得ない。そもそも、文化において優劣を決めようとするのは単一の価値観の押し付けにすぎず、他者を尊重することなど出来ない偏狭な考え方だ。

その一方で、「フランス料理の時代は終わった」とばかりにスペイン、北欧、ベネルクス、南米などとガスロトノミーの「最先端」を後追いし、皮相的な模倣ばかりする傾向も日本のフランス料理にはあるようだ。けれども、19世紀以降多くの国におけるガストロノミーがフランス料理をベースに発展したという歴史的事実を否定することは出来ない。そして、多くのガストロノミーのベースとなっているフランス料理が主としてエスコフィエの「体系」にもとづくものであり、エスコフィエの「体系」がフランス料理の長きにわたる歴史に根ざしたものであることも忘れてはいけない。

だからこそ、ラ・ヴァレーヌをはじめとする古い料理書を読む意義があるわけだが、日本のフランス料理あるいはガストロノミーがそういった問題意識を持つのはいつのことだろうか。