投稿者: Manabu GOTO

  • 青と緑は同じ色?

    日本語で「青信号」とは言うけど実際の色は緑だったりする.どうしてなんでしょうね…? いえ,こういうのを突き詰めて考えようとするとわけがわからなくなっちゃったりします(笑.料理関係のフランス語でもちょっと似たような現象があります.例えば,vert-cuit あるいは cuire vert という表現.vert は「緑」のことなんですが,ここでは「火の通し加減がほとんど生」という意味です.『ラルース・ガストロノミーク』初版では

    CUIRE VERT — Expression imagée indiquant le point de cuisson à faire subir à certaines viandes de boucherie conservées très saignantes. On emploie aussi l’expression «cuire bleu». ある種の畜肉を非常にセニャンな状態に火を通すことの比喩表現.«cuire bleu»とも言う.

    ステーキの焼き加減で「ブルー」というのがありますよね.それと同じということです.TLFiという辞書では

    Bifteck bleu. Servi saignant et peu grillé. ほとんど焼いていないセニャンな状態で供する

    となっています.「セニャン」saignant というのは「血のしたたるような,生焼けの」という意味です.

    ここまでを整理すると,肉の火の通し加減はセニャン=ブルー=ヴェールということになりますね.ステーキの焼き加減の場合はブルー < セニャン < アポワン (à-point) < ビヤンキュイ (bien cuit) のように段階をつけて表現することもありますが,その場合はブルー=非常にセニャン,くらいに理解するといいでしょう.

    さて,最初の cuire vert も「非常にセニャン」です.つまりブルー=ヴェールということになります.bleu のそもそもの意味は「青」,vert は「緑」です.

    青と言おうが緑と言おうが「非常にセニャン」ということはほぼ生なわけですから,段階なんかつけようがないんでしょうね.だから『ラルース・ガストロノミーク』初版ではこの2つの表現は同義ということになっているわけです.

    この「ほとんど生」な焼き加減の表現は,ステーキの場合には「ブルー」,猟鳥(とりわけベカス)については「ヴェール」が用いられます.そういう言語習慣なんです.

    というわけで,決してブルー<ヴェール<セニャンじゃないです.いえ,そう主張してもいいんでしょうけど,言語的コンセンサスからは明らかに外れちゃいますし,あんまりにも微妙で主観的な判断が入るでしょうから,一般化するのはいささか乱暴でしょうね.ブルー=ヴェール=セニャン,あるいはブルー=ヴェール<セニャンくらいに理解しておくといいでしょう.

    あと,『ル・ギード・キュリネール』などで vert-cuit が指定されているのは猟鳥のサルミが代表的ですが,あれはバルデ(豚背脂のシートで胸肉の部分をくるむ)した猟鳥を丸ごと串に指してロティールする,その段階では vert-cuit にしろということです.その後,カットして肉とガラに分け,ガラを使ってソースを作ります.その間,肉はフランベしてから少量のフォンを加えて保温しておきます.何度で保温するか具体的な温度指定はないんですが,実際上は現代で言うところの「低温調理」をしているのに等しいということを頭に入れておいたほうがいいでしょうね.個々のルセットにしか目がいかないと,このあたりは見落しがちかも知れません.

    ついでに,à-point (アポワン)という表現,「丁度いい火の通し加減」という意味です.この表現はステーキ以外でもよく使いますが,具体的にどの程度まで火が通っていたら「丁度いい」かは素材によっても,またその大きさによっても違ってくるわけですから,日本語で「ミディアム」というのとは根本的に意味が違います.大事なポイントなのでしっかり押えておきましょう.

    もうひとつついでに,火の通し加減とは関係ありませんが,vin bleu という表現があります.「質の悪いワイン」という意味です.もっぱら赤ワインについて言います.

  • 香味野菜? 煮汁? — フォン・ド・ブレーズのこと

    「専門料理」連載「エスコフィエを読む」2013年2月号「ブレゼ(2)」の補足記事です.

    原文が長く,内容的に途中で切るのが難しいということもあって,編集部のご厚意で特別増ページ,盛り沢山となりましたが,お読みいただけたでしょうか?

    さて,前回「ブレゼ(1)」でもそうだったんですが,「香味素材」および「煮汁」と訳したものの多くが原文は fonds de braise (フォン・ド・ブレーズ) なんです.

    香味素材と煮汁じゃ随分と違いますよね.でも,同じ言葉で表現されているんです.

    これは,ブレゼという調理を,主素材とそれ以外,というように分けて考えているということなんです.「それ以外」の方はブレゼの土台となっているもの(フランス語の fond のもともとの意味)ということでしょう.

    いちいち訳し分けずにカタカナで「フォン・ド・ブレーズ」としちゃっても良かったんでしょうけど,今の調理現場ではそんな概念は理解されないだろうということで,あえて文脈に合わせて日本語にしました.

    さて,『ル・ギード・キュリネール』では,ブレゼの鍋の中身は (1) 主素材 (2) 香味素材+フォン等の液体,という構成になっています.(2)を「フォン・ド・ブレーズと呼んでいたわけです.

    ところで,この(2)ですが,カレームの時代まではかなり内容が違っていました.

    ブレゼと呼ばれる調理は,鍋の底に豚背脂のシートを敷き,その上に仔牛もも肉のスライスを重ね,鵞鳥,七面鳥,羊もも肉,イチボ等の牛肉の塊等々を入れる.上から仔牛肉のスライスと豚背脂のシートで覆い,細かく切ったにんじん2本分,切っていない玉ねぎ6ヶ,ブーケガルニを加える[…] (L’art de la cuisine française au dix-neuvième siècle, t. I, p. 51.)

    ブランデーとブイヨンを注いで蓋をして煮るわけですが,ここで出てくる主素材つまり「鵞鳥,七面鳥…」以外の材料を braise (ブレーズ)と呼んでいたわけです.

    カレームは「豚背脂のシート」と「仔牛のスライス」を指定していますが,他の肉を入れる場合もあります.極端な話,ブイヨンじゃなくて普通の水を注いで作ったって充分においしく出来ちゃいそうな材料です.ただ,明かにコストが凄いです.手間もかかる.合理的じゃない.だから,『ル・ギード・キュリネール』では主素材以外の要素を香味素材(=香味野菜と場合によっては豚皮)+きちんと仕込んだフォン,としています.その方が汎用性があるからですね.

    今回の連載で「パンセ」がどうとか,獣骨を使うのがどうとかという話が延々と出てくるのは,この昔の「ブレーズ」を使ったブレゼを踏まえてのことというわけです.

  • ラルデ針

    「専門料理」連載「エスコフィエを読む」2013年1月号「ブレゼ(1)」の補足記事です.

    本文で出てきたように,細長く切った豚背脂を肉の繊維の方向に刺すことをラルデ(larder),そのために使う道具をラルデ針(lardoire ラルドワール)と呼びます.

    もともとはロティールに用いる技法で,非常に古くからあります.ラルデという言葉は12世紀のウァース(Wace)という詩人がアングロ・ノルマン語で書いた物語詩 Roman de Brut に出てくるそうです.

    lardoire_miroir_de_mariage

    ラルデ針のほうは,14世紀ユスターシュ・デシャン(Eustache Deschamps)の風刺詩『結婚の鏡』Miroir de Mariage に出てきます.画像は19世紀の版のものです.調理器具や香辛料の名前がまとまって出てくるくだりにあります.lardouere という綴りです.

    ついでに,少し前の行に paelle というのが出てきます.poêle (ポワル=フライパン)のことですね.スペイン語の paella と語源が同じだということがよくわかります.

    もうひとつ,paelle trouée というのも出てきます.穴の空いたフライパン… パソワール(passoire ざる,水切り)のことなんですね.

  • モンプリエ? モンペリエ?

    「ロチルド」ネタはあんまりウケがよくないみたいですけど,もうちょっと発音ネタを続けてみましょうか… まずは南フランスの地名,Montpellier 音声ファイルは例によって forvo.com から.

    Montpellier

    Montpellier

    Montpellier Saint Roch

    montpellier-saint-roch

    要するに,ll の前の e を / ɛ / (カタカナだと「エ」ですね)と読むかどうかが問題になるわけです.が,結論から言うと,どちらも正解なんですよね.

    ところが,A.O.C. などでおなじみの単語…

    appellation

    appellation

    appellation contrôlée

    appellation contrôlée

    appellation d’origine contrôlée

    appellation d’origine contrôlée

    appellation d’origine protégée

    appellation d’origine protégée

    皆さん「エ」と読んでますね.

    appellation
    appellation

    辞書では  /a.pɛ(l).la.sjɔ̃/ または /a.pe.la.sjɔ̃/ ということになっていて,/ ɛ / か / e / という違いはあるにせよ,しっかり発音されるということになっています.(/ ɛ /はあまり口に力を入れずに「え」と発音すると近い音になるかな.一方の / e / は唇を横に引っぱるような感じで「エ」と発音するんですが,人によっては「イ」のように聞こえたりもする音)

    ところが,言葉というのは「ナマモノ」的要素もあるんで,辞書が絶対に正しいとか,みんながみんな辞書の通りの発音をするわけじゃないんですよね.「方言」なんかもそうですけど,やっぱり地域差,個人差,時代による違い etc. いろんな要素があるんです.だからでしょうね,Forvo にはこんな音声ファイルもありました.

    l’appellation

    l’appellation

    とはいえ,外国語を学ぶ場合は「正しい言葉」を身につける必要があります.appellation は  /a.pɛ(l).la.sjɔ̃/ または /a.pe.la.sjɔ̃/ が正しいとされているわけですから,「エ」と読むんだと覚えておいたほうがいいですね.

  • ロートシルト? ロチルド?

    以前教師をしていたころ時折授業で使っていた小ネタ.19,20の学生さん相手だとまるっきりウケが良くなかったんだけど,フランス料理関係者だとどうだろう…その前に現状の数字を確認しておくと…

    Google での検索結果;

    • 「ロートシルト」約 104,000 件
    • 「ロッチルド」約 7,520 件
    • 「ロチルド」約 7,360 件

    Rothschild のフランス語ネイティヴさんたちによる発音はForvo で聴くことができる。

    (20121225)

    追記……Rothschildを日本語のカタカナ書きにする場合は「ロスチャイルド」でいいと思う。(20230814)

    ©︎2023 Manabu GOTO

  • ア・ラ・ヴァプール

    柴田書店「専門料理」連載「エスコフィエを読む」2012年12月号「魚料理(4)」の補足記事です。

    4回にわたって魚料理の「概説」部分を訳してきましたが,今回でひと区切りとなります.原書では gratin と crimped という項目が残っているんですけど,わざわざ連載で取り上げる内容でもなさそうなんで省略,次回1月号からは肉料理の概説を読んでいくことになります.
    さて,今回の「補足」ですが,魚料理とは直接関係ないア・ラ・ヴァプール(蒸すこと)のお話しです.
    よく,「蒸す」という技法はフランス料理になかったが,1970年代のヌーヴェル・キュイジーヌにおいて中華の「蒸す」という手法が採り入れられ,一般化した…などと解説されていることがあります.
    これ,半分は正しいけど,半分は間違い.ヌーヴェル・キュイジーヌが「蒸す」ということについて中国料理から影響を受けているというのは正しいんです.でも,cuire à la vapeur という方法自体はヌーヴェル・キュイジーヌよりずっと以前から行なわれてきたんです.

    まずは1960年放送のテレビ番組を見てみましょう.グラン・ヴェフールという三つ星レストランのオーナーシェフ,レモン・オリヴェが Art et magie de la cuisine という番組を1954〜1967年にやっていました.素晴しいことに,ごく一部ですけどWEBで見られるんですよ.で,アーティチョークとアスパラガスのグラタンの回です.字幕も何もないですけど,何をしているかは見ればわかると思います.このページに動画の埋め込みをしておきますが,念のためにリンクも貼っておきますね.「アーティチョークとアスパラガスのグラタン」

    圧力鍋に少量の水を入れて沸かし,野菜の入った籠を重ねて蓋をして圧力をかけています.これを cuire à la vapeur つまり「蒸す」と言っているわけです.ちょっと分かりにくいかも知れませんが,圧力鍋がない場合は普通の鍋でも出来るよ,って説明もしています.

    さて,もうちょっと古い資料を見てみますか.例によってモンタニェ『ラルース・ガストロノミーク』初版(1938年)から vapeur (cuisson à la) の項目.

    蒸す… 沸騰した液体の上に素材を並べた「すのこ」または網をのせ,圧力をかけて(「圧力釜」参照),または圧力をかけずに加熱する

    ね,ア・ラ・ヴァプールはちゃーんと出てるんですよ.ただ,オリヴェの番組では圧力鍋 autocuiseur (オトキュイズール),モンタニェだと圧力釜 autoclave (オトクラーヴ)を使うということになっているんです.少なくとも日本の「蒸し器」や中国料理の「せいろ」みたいなものはなかったんで,圧力をかけずにア・ラ・ヴァプールで加熱するには何らかの工夫が必要だったというのも事実ですが.

    ここでようやく今月号の内容につながります.魚のムース,ムスリーヌについて「蒸してもいいが,圧力がかからないように加熱すること」と本文にあります.日本の「蒸し器」をイメージしちゃうと理解できないところです.ア・ラ・ヴァプールでの加熱は圧力がかかる器具を使うことが前提になっているということを踏まえておく必要があるわけです.だからわざわざ「圧力がかからないように」(原文は à très basse pression ごく低い圧力で)と書いてあるんです.

    圧力釜というのは基本的に「高圧滅菌器」ですから,「蒸すための器具」としてイメージしにくいかも知れませんが,野菜の下処理などでこれを使うというのは,昔はある程度の規模の厨房ではそう珍しいことではなかったようです.フランスでの修業時代に,野菜の加熱にこれを使っているのを見たというシェフもいらっしゃるので,比較的最近まで残っていたかも知れません.

    cuire à la vapeur という表現は「蒸気を使って火を通す」ことで,19世紀,20世紀初頭,一般的に蒸気といえば「蒸気機関」ですよね.蒸気を高圧にすることによって動力源にするという.そういう時代ですから,「蒸気」 vapeur という言葉と「圧力」pression が密接な関係にあるのは当然のことでしょうね.

    さて,12月号は「エスコフィエを作る!」第二弾もありまして,見所満載です.ぜひお読みください.「作る!」の方についても補足記事を書いておく必要がありそうですので,11月中にもうひとつエントリをアップしようと思います.