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投稿者: Manabu GOTO
中世の料理書『ル・ヴィアンディエ』のこと
ひさしぶりに gallica を覗いたら 『ル・ヴィアンディエ』の手稿 Bibliothèque nationale de France, Département des manuscrits, Français 19791 がPDFで公開されていた。
『ル・ヴィアンディエ』はいまから600年以上昔、14世紀頃に書かれた料理書だ。活版印刷技術が普及した15世紀以降、何度も刊行された、いわばベストセラーだ。
原題の Le Viandier は 「viande に関するもの (本)」という意味1だが、この viande はいまで言う「食肉」のことではなく「食べ物一般」とか「料理一般」を指す。ちなみに中世フランス語で「食肉」は char (現代フランス語の chair)。シャルキュトリー charcuterie の char だ。charcuterie の cute は cuite (←cuire) のことだから、シャルキュトリーは「食肉に火を通す(調理する)こと、調理したもの」が語の成り立ちとしてある。シャルキュトリーがもっぱら豚肉加工品を指すのは15世紀にブゥシェ boucher (肉屋) のギルドからシャルキュトリーのギルドが分離独立した際に、勅令で取扱品目を豚肉に限定されたから。現代フランス語の viande de boucherie (直訳すると「肉屋で売られている肉」) がもっぱら牛肉を指し、豚肉は含まれないのはこうした歴史的経緯と関係がある。
ブフ・アラモード(2)残りはスタッフがおいしくいただきました?
エスコフィエ『料理の手引き』のブフ・アラモードには冷製もある。
かいつまんで言うと、残ったブフ・アラモードとガルニチュールを盛りつけなおして必要ならジュレをソースに足し、煮凝りのように冷やし固めたものだ。
しばらく前のことになるが、ある料理人さんが「これって余りもの利用?」と尋ねてきた。まさにそのとおり。レシピの冒頭にこう書かれている…
ブフ・アラモードを冷製としてだけ作ることは滅多にない。大きな塊肉で作ったブフ・アラモードの残りを冷製にするのが普通だ。(Escoffier, Le guide culinaire, p.447.)
ブフ・アラモード
アラモード(à la mode)という表現には2つの意味がある。ひとつは「流行の、おしゃれな」、もうひとつは「〜の流儀で」。料理名として、後者は Tripes à la mode de Caen (トリップ・アラモード・ド・カン、カン風トリップ)が代表的だろう。前者については Boeuf à la mode (ブフ・アラモード)がよく知られている。Boeuf mode (ブフ・モード)といもいう。大きな牛塊肉の比較的シンプルなブレゼだ。直訳すると「流行の(おしゃれな)牛(肉料理)」という意味になるが、もちろんいまの流行ではない。
とても古くからある料理だが、やはりエスコフィエ『料理の手引き』のレシピをひとつの完成形と見るべきだろう。
ラグゥのこと
普段あたりまえのように使っている言葉でも、よく考えてみたら正確な意味がわかっていないことは珍しくない。ラグゥ ragoût もそのひとつだろう。
日本では一般的に、「煮込み、シチュー」くらいの理解だろう。あるいは、フランス料理ではないがパスタソースのイメージが強いかも知れない。
もちろん、大抵はそのくらいの理解でいいのだが、古い料理書を読む場合、それでは足りない。たとえばカレーム。未完の大著『19世紀フランス料理』L’art de la cuisine française au XIXe siècle のラグゥには、ソースと具材を合わせるだけ、つまり煮込まないものがたくさんある。
ラタトゥイユは「不味い煮込み」?
(2014年に書いたものの再アップ)
ラタトゥイユ ratatouille と言えば普通は「ニース風ラタトゥイユ」のことを指す。僕がこの料理を知ったのは大学に入ったばかりの頃だ。
ちょうどフランス語を学びはじめていたので、辞書で ratatouille を引いてみると、「1. 野菜の煮込み 2. まずい煮込み、粗末な料理」のようなことが書いてあり、この「まずい煮込み」という意味が気になったのを妙によく憶えている。ヨーロッパ人は肉食中心だから野菜が嫌いで、ラタトゥイユを美味しくないと感じるのか…?
トマト プリンチペ・ボルゲーゼ
十数年前にイタリアの知人から譲りうけた種子を自家採種で維持しているもの。「ボルゲーゼ大公」の名のこの品種、南イタリアのピエンノロ(ペンドロ)という吊し干しにも用いられるという。“Pomodorino del Piennolo del Vesuvio DOP” の規定に明記されている品種群のうちのひとつだ (Art. 2)。よく誤解されるようだが、「ピエンノロ」というのは品種名ではない。ナポリ周辺で生産される吊し干しトマトの総称だ。そもそもは夏に収穫したトマトをクリスマスの頃までおいしく食べるための工夫らしい。
Principe Borghese という品種じたいはUSの種苗店などのカタログで見かけることもあるが、どういうわけか「芯止まり」タイプが多いようだ。上で引いたDOPの規定では「非芯止まり」となっているから芯止まりタイプだと厳密には違うということになるだろう。
画像でもわかるように、僕が栽培しているのは「非芯止まり」。だからこそ面倒でも自家採種している。画像で、赤い紐が結んである株は種とり候補。
もっとも、日本という、南イタリアとはえらく異なった環境で自家採種を続けているわけだから、環境に順化したり、採種株の選抜の偏りがあったりで、もとの形質を完全に維持できているわけではないことは承知している。
画像左が収穫した Principe Borghese。右は Super Marzano。
このトマト、吊し干しにされるくらいだから、ドライ、セミドライへの適性が高い。そもそもアミノ酸が強い品種だが、水分を減らすことでいっそう凝縮される。房室(種子とゼリーの入っている穴のようなもの)が2つだけだから、縦割りでも形状をよく観察して切ればすべてのゼリーを取り出すことができる。
残念ながら、日本の気候では吊し干しは難しいようだ。また、夏秋どりの作型では房どりできる率が低い。
皮がとても丈夫だから(吊し干しにする所以だろう)、中を刳り貫いて詰め物をするにもいい。
もちろん、フレッシュなものを適当にカットしてパスタソースなどにしても美味だ。皮が丈夫と書いたが、個人的には皮つきのまま調理してもまったく気にならない。
ずっと以前に、おなじような内容をブログで書いて、炎上というほどではないがまことに不快な経験をしたことがある。利害のある関係者がそれなりにいるということだろうが、僕としてはこのトマトでビジネス的な展開を目論んでいるわけではないから、この投稿は読み流す程度にしていただきたい。
なにしろ、細々と自家採種しているもので、種子を余所にお頒けするつもりはないし、収穫したトマトは産直のセットにも時折入れる程度で、基本的には自家用にすぎない。個人的な愉しみなのでそっとしておいていただきたい。
アルトゥージを読め
ある料理雑誌のイタリア料理特集号の表紙に掲げられた一文。編集部からの依頼で「イタリア料理特集」にふさわしい言葉として僕が選んだ。
La cucina è una bricconcella; spesso e volentieri fa disperare, ma dà anche piacere, perché quelle volte che riuscite o che avete superata una difficoltà, provate compiacimento e cantate vittoria.
ペッレグリーノ・アルトゥージ(1820〜1911)の主著『料理学』 La Scienza in cucina e l’Arte di mangiar bene (1891) 序文の言葉だ。『イタリア料理大全』のタイトルで日本語訳が出ている。
©︎2016 Manabu GOTO