「専門料理」連載「エスコフィエを読む」2013年8月号「ロティ(1)」の補足記事です.
ブリヤ・サヴァランの有名なアフォリズム
誰でもキュイジニエになることは出来るが,ロティールは生まれつきの才能次第だ
もうちょっと分かりやすく書き直すと
料理ってのは誰でもやれば出来るようになるけど,ロースト(ロティール)だけは才能がモノを言う
って感じですが,こんなこと言われたらそりゃ気になりますよね.エスコフィエも相当に気になっていたようで,このアフォリズムを引用していますが,驚くべきことに初版と第2版以降ではニュアンスが随分と違うんです.そこで今回の連載記事では「ロティ」の冒頭部分を初版と最終版の両方訳出しておきました.
初版の方は,ロティールについてはどんなに頑張っても素養がなければどうにもならない,という立場です.人によってはには絶望的(?)な宣告かも知れません.一方で,第2版以降は「ほんのわずかの素養さえあれば」努力次第でどうにかなる,と言っています.
どうして『ル・ギード・キュリネール』の記述が180度ニュアンスを変えたのかはわかりません.が,ブリヤ・サヴァラン『味覚の生理学』という本は本質的には「面白読み物」であって,科学的な分析の本でもないし,料理の聖典でもないんです.このあたりがどうも誤解されやすいようで,ウィキペディアには
『美味礼讃』は直訳のタイトルに<味覚の生理学>とあるように、学問書を意図している
などと書いてありますが,実際にじっくり読んでみると全然学問的じゃないんですよ.部分的に学問的であるというポーズはとっていますけどね.
そもそもこの『味覚の生理学』Physiologie du goût, ou méditations de gastronomie transcendante は1826年,著者の最晩年に匿名で出版されたんです.ポイントは匿名だったということ.ブリヤ・サヴァランという人は法律家で,専門の法律関係の著作はちゃんと本名で出していました.つまり『味覚の生理学』は本名で出せるような本じゃない,ということだったんです(少なくともブリヤ・サヴァラン自身はそう考えたわけです).
実際,タイトルに「生理学」と謳ってはいますけど,内容は文字通りの生理学とは何の関係もない.甘味,塩味,苦味…といった味を舌や口腔で関知する生理メカニズムなんかまったくお構いなしです.食に関連する蘊蓄,逸話,独自理論の展開…がこの本の中心です.まぁ,エッセーみたいなものです.
出版直後からそこそこヒットしたみたいで1834年には第4版が出ています,さて,この本を気に入ったバルザックという小説家が1829年に『結婚の生理学』Physiologie du mariage ou méditations de philosophie éclectique, sur le bonheur et le malheur conjugal, publiées par un jeune célibataire という本を出します.フランス語の題名がそっくりですよね.ここまで似ているとオマージュなんだかパロディなんだかわからなくなりそうですが,この本がまたそれなりにヒットしまして,柳の下のドジョウよろしく,その後同じようなタイトルの本がぞろぞろ出版されます.「床屋の生理学」「お妾さんの生理学」「歌の生理学」「パリの全劇場のロビーの生理学」「ブゥローニュの森の生理学」… まぁ現代では文化史研究でもしないかぎりどうでもいいと言われかねないような本ばっかりなんですが,「生理学モノ」という1ジャンルを築いたと言ってもいいわけです.
『味覚の生理学』はそういうわけで,書いてあることを何でも額面通りに鵜呑みにしちゃうと,とんでもない誤解をするような本なんです.
さて,問題の「誰でもキュイジニエになることは出来るが,ロティールは生まれつきの才能次第だ」ですが,原文は
On devient cuisinier, mais on naît rôtisseur.
アフォリズムは日本語で「警句」とも言いますが,「思考や観察の結果を簡潔な形で,皮肉に,しんらつに,諧謔的に述べたもの」です.短かい表現で説明がないわけですから,いろんな解釈が出来る場合も多い.で,混乱しちゃったりするんですよね.このアフォリズムの一般的な解釈は上で書いたように「誰でもキュイジニエになることは出来るが,ロティールは生まれつきの才能次第だ」となります.
でも,他の解釈も可能なんですよね.色々考えさせられる.そういう仕掛けになってるんです.そのためには「ロティスール」rôtisseur とは何なのかということを知る必要があります.
というわけでこのエントリ,次回に続きます.