中世(12)
2017/01/27 03:13p.XIII(4)=p.XIV(1) 『ル・メナジエ・ド・パリ』は(全体としては料理書ではなく1)家政書だ。書かれたのは1392年6月から1394年9月の間。著者はかなり高齢の、パリの裕福なブルジョワで、両親のいない15才の娘を嫁に娶ったのだった。このブルジョワは多くの従僕を抱えており、その筆頭には家令またはメートル・ドテルにあたる「歳出係ジャン」と、若妻に付き人として従う「アニェス・ラ・ベギーヌ2」がいた。老ブルジョワは幼な妻にこう書き与える。「小間使いを雇う場合は、以前どんな所にいたのか、実際に従僕をそこに行かせ、口が軽かったり酒飲みでないかなどを調べさせてからにしなさい。(略)15〜20才くらいの小間使いを雇う場合には、その年頃の娘というのはお馬鹿で世間知らずなのだから、自分の部屋の近くで寝かせるようにしなさい。窓が低いところにはない、なおかつ、通りに面していない衣装部屋か寝室を使わせること。(略)従者が病気になった場合は、他の事は後回しにして、心から従者を思いやること。快方に向かうよう細かく気を配ってやりなさい…」
中世(11)
2017/01/22 23:58p.XIII(3) 1306年の匿名の著者1と同様、タイユヴァンは、どんな料理でも畜肉、家禽をあらかじめ茹でてから使う。ブルーエ、シヴェ、ラグーは牛のブイヨンにとろみ付けのためのパン2を加えて煮る。砂糖、香辛料、イゾップ、パセリ、セージ、カルダモン3をふんだんに使う。既に湯せんの使用が認められる。あるレシピでは面白い使い方をしている。液体を加えずに鶏を湯せんにかけてたっぷり肉汁を出させ、それを病の床に伏せている者に供するというのだ。ソースはあまりヴァリエーションがない。肉と魚は、煮たものであれ焼いたものであれ、火を通さずに作るソース・カムリーヌか、ミルク4やヴェルジュを加えて火を通して作るソース・ジャンスで食する。ドディーヌ5、どんなに我慢づよいスパルタ人さえもうんざりさせるような6四旬節用フランのごとき料理の一方で、タルムーズ、ブルボン風タルト、卵黄と栗を詰めた仔豚のローストもある。これらは現代でも洗練された味わいと言えるだろう。
中世(10)
2017/01/20 20:11p.XII(6) タイユヴァンの著書は15世紀に5回出版された1。いずれも出版地、年の記載はない。最も古いものは1490年ごろ。題名は… p.XII(7)=p.XIII(1) 『国王陛下の厨房を司るタイユヴァンにより、煮込み、ロティ、海水魚、淡水魚、ソース、香辛料その他必要な食物の扱い方、調理法を余すところなく著したル・ヴィアンディエ2、以下に始まる…(原注1)』
中世(9)
2017/01/19 18:21p.XII(3) ギヨーム・ティレルはまず、王妃ジャンヌ・デヴルー付きの厨房見習いとなり、のちにフィリップ・ド・ヴァロワ、次にヴィエノワ王太子、さらにノルマンディ公に厨士として仕える。1373年にはシャルル5世によって国王付き料理長(エキュイエ1・ド・キュイジーヌ)に任命される。『ル・ヴィアンディエ』の執筆はこの時期(1)。シャルル6世の治世には料理担当侍従長となり、1392年に「メートル・デ・ガルニゾン2」に叙せられる。文献によると、タイユヴァンの没年は1395年ごろである。サンジェルマン・アン・レの近く、ノートルダム・デヌモン修道院に葬られた。タイユヴァンは生前、そこに礼拝堂を建立したのだった。
中世(8)
2017/01/18 19:32p.XII(2) 伝説的ともいえる料理人ギヨーム・ティレル通称タイユヴァンは1310年ごろ生まれた。フランソワ・ヴィヨンは『遺言詩集』の8行詩、第131番にこう書いている。 タイユヴァンの本で探すといい
中世(7)
2017/01/17 23:20p.XII(1) 憶測はこのくらいにしておこう。確かなことは、ピドゥが先人達のレシピを多少なりとも進化させ、よりわかりやすいものにしようとしたことだ。バターではなく牛脂あるいは去勢鶏の脂を用い、バターはクレーム・ウスュを作るのにしか用いられていない。塩はほとんど使われていないが、ちょうざめ、ジャコバン風スープ、去勢鶏のロースト、ソース・ド・トライゾンには「大量の」香辛料と砂糖が使われる。パンは重要な役割を果していて、生のパンの身を細かく刻んだ肉に混ぜ込んだり、焼いてから牛のブイヨンや、ヴェルジュを加えた「真紅のワイン」に浸して使う。野菜料理のレシピはほとんどない。その代り、菓子のレシピは多く、ダリオル1、タルムーズ2、ジャコバン風タルト(卵黄を混ぜ込み、通常はオレンジの香りづけをした生地でフロマージュ・グラ3を包んだ焼き菓子)のように、17世紀になってもポピュラーなものもあった。ウブロワイエ4はこれらの菓子と、ウブリ、エショデ、カス・ミュゾ、プティ・シューなどを籠いっぱいに積み上げ、通りを売り歩いていた。
中世(6)
2017/01/17 11:59p.XI(1) 16世紀にタイユヴァンやプラティナと同様、多くの美食家たちに愛読された『料理全書』1という本がある。これが書かれたのは1350年頃と考えられる。手稿は現存していない。ギヨーム・ティレルはこの本のことを知らなかったようだが、『ル・メナジエ・ド・パリ』の著者はこの本から随分と着想を得たらしい。この『料理全書』が初めて出版されたのは1540年で、その後60年の間に何度も再版された。ただしほぼいずれも海賊版で、題名も変えられ、内容も改訂され続けた。レシピの順番を変えるくらいにとどめようなどどいう良識のある本屋などほとんどいなかったのだ(原注1)。
中世(5)
2017/01/16 00:02p.X(2) 淡水魚は水煮し、ソース・ヴェルト1を、寒い時期はマスタードを添える。うなぎは現代のマトロートの原型ともいうべき「サラジネ」にする。「うなぎを用意する。皮を剥き切り分ける。塩をして油で炒める。固くなったパンと砂糖をすり潰し、ワインとヴェルジュ2を加える。これをうなぎの入った鍋に投入して煮る。シナモン、ラヴェンダー、クローヴをすり潰してヴィネガー少々でふやかしてから鍋に入れる。しっかり蓋をして(煮る)、火から外す」。
中世(4)
2017/01/15 19:54p.IX(4) = p.X(1) この文章は古典ラテン語より後の時代のラテン語で書かれたわけだが、古典ラテン語の料理書や18世紀以前にフランス語で書かれたものと比べても、その文章が流麗なことに驚かされる。著者はおそらくパリの人だった。そのことは、本文にフランス語の単語が散見されることや、いくつものレシピがそっくりそのままタイユヴァンやピドゥの著作に見られることからもわかる。本稿ではこのラテン語の文についてはこれ以上は論じない。この筆者が書いている調理論と同様のものが、フランス語で書かれた別の小文でまとめられているからだ。このフランス語で書かれた小文の方だが、おそらく1306年に手稿本が作られた。料理に関するフランス語の文献としてもっとも古い。題名は『薄い色や濃い色の赤ワインなど全ての飲み物および諸国の様々な作法によるあらゆる食べ物の調理法についての指南書』(1)
中世(3)
2017/01/14 14:31p.IX (3) 彼は美味しいもの、とりわけ美味しいワインが大事だと言ってはばからない。まずワインについて語ることから論を始める。「ワインは飲み物のなかでもっとも美味しく、価値がある。だから他のどんなものよりも尊重すべきなのだ。ワインは精神と肉体を強健にし、消化を助け、体質改善となり、悲しみや苦痛をまぎらわせてくれ、人を愉しく陽気にさせる」。とはいえ、我々皆の父祖であるノアの賢い弟子らしく、次のようなただし書きをしている。「私がここで述べたことが正しいと言えるのは、おかしな混ぜ物など入っていない美味しいワインをほどほどに飲んだ場合だけだ」。
中世(2)
2017/01/13 21:32p.IX (2) 著者(1)は若い頃にたくさん旅をし、宮廷、修道院、裕福なブルジョワの屋敷に出入りしていたと、いささか大袈裟な口調で述べている。そのいたるところで作法を教わり、料理人に質問をし、レシピを書き留めた、と。だから「卵、チーズ、魚、肉、果物、飲み物、ソース、調味料について知っていることを可能なかぎり」論じれば有益なものになる考えたのだ。
中世(1)
2017/01/13 03:12はじめに ベルトラン・ゲガンは、フランス文学を勉強している者にとって比較的なじみのある名だろう。アロイジウス・ベルトランの散文詩集『夜のガスパール』の校訂やルネサンス期の詩人ロンサールの研究で知られている。だから僕も、二十歳かそこいらの頃から名前だけは知っていたが、詩文には苦手意識があって敬遠していた。ずっと後に、すこし真面目にフランスの食文化史のことを調べるようになって、かくもゲガンの仕事に学ぶことになろうとは思ってもいなかった。